



【箱根温泉あれこれとご飯茶碗】
箱根といえば…いろいろありますが、やはり温泉でしょうか?
箱のような外輪山の形から“箱根”と名付けられ、その中には湖、山や川があり、かつては箱根七湯(湯本・塔之沢・堂ヶ島・宮ノ下・底倉・木賀・芦之湯)の温泉地として知られました。今では17を数える温泉場があり、泉質も20種類に及びます。どの温泉地も歴史は古く特徴があり、皆さんもお気に入りがあるのではないでしょうか?熊野神社のお宮の下に開けたことに由来する宮ノ下温泉には、日本で初めての“本格的リゾートホテル”として開業した「富士屋ホテル」があります。富士屋ホテルといえば、大正時代から伝わるカレーや干し葡萄たっぷりのレーズンパンを思い浮かべてしまいますが、一番の売りはやはりその歴史かと思います。
宮ノ下の湯宿の記録には藤屋勘右衛門、奈良屋兵治ら数名が営む5軒の旅館がありました。明治初期、富士屋ホテルの創業者・山口仙之助は500年の歴史を持つ老舗旅館「藤屋」を買い取り、明治11年に神風楼支店「箱根宮ノ下富嶽館富士屋ホテル」として開業。“神風楼”とは仙之助の養父、実業家の山口粂蔵が横浜で経営していた遊郭から来ています。神風楼の支配人や山口粂蔵が、外国人と接する姿を見ながら商売を学んだ経験がのちの富士屋ホテル創立の礎となったようです。
そして同じく宮ノ下温泉に江戸時代から続く、老舗の奈良屋旅館はすでに外国人を宿泊させていましたが、建物も経営も日本式のものでした。そこで富士屋ホテルは建物を一新し、洋館を建設するとともに、パンや肉類も毎朝小田原から取り寄せるなどして洋式のサービスを提供したのです。となるとオープン当時増えてきていた外国人客の争奪戦になったようですが、明治26年には“富士屋は外国人専用、奈良屋は日本人専用”という協定が成り立ったといいます。敗戦後、司令官のマッカーサーは富士屋ホテルに宿泊、大日本帝国憲法改正を巡って日本側の代表団は奈良屋旅館に宿を取り、新憲法草案づくりに励んだそうです。奈良屋旅館は2001年に閉館していますが、現在は当時の源泉や従業員寮の建物を活用して足湯が楽しめる「NARAYA CAFE」として親しまれています。余談ですが、私も一度訪れたことがあり、偶然店頭で当時の旅館で使われていた古いご飯茶碗を購入したことを思い出しました。こんな歴史舞台になった旅館を見てきたご飯茶碗なのだとしみじみ眺めています。
その後も富士屋ホテルは、さまざまなアイデアや挑戦で外国人専用のリゾートホテルから、今では私たち日本人にも憧れのホテルとなり楽しませてくれています。訪れる機会がありましたら、ホテルの貴重な資料を集めたミュージアムや、ホテルを描いた画家の作品が並ぶギャラリーにもぜひお立ち寄りください。クラシカルな空間で過ごす時間にいっそう深みが増すことでしょう。
深く険しい山道を切り拓き、それぞれの温泉への道を整備していったのは、富士屋ホテル創業者の山口仙之助をはじめとする当時のホテルや温泉宿の当主たちです。彼らの尽力なくして「箱根」を語ることはできないのでしょう。まだまだ知らない歴史が隠れていそうな箱根。ひょっこり行ってみたくなりますね。
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参考資料
https://www.fujiyahotel.jp
https://www.fujiyahotel.jp/brand/history/
https://www.fujiyahotel.jp/brand/hakone/
https://www.fujiyahotel.jp/brand/sincerity/
https://www.hakone.or.jp/6882
https://www.zeiken.co.jp/news/20227772.php