





【お江戸の火消し】
江戸っ子の「粋」は、火事場でこそ輝いた。「火事と喧嘩は江戸の華」というフレーズをよく耳にします。火消しは、火事と聞けば華やかな纏(まとい)を掲げて命がけで町を守る!頼もしいヒーローです。
火事が多かった江戸の町、特に11月から5月にかけて、この時期特有の乾燥した空気、強い季節風、暖房のための火気使用という状況で多発しました。「江戸の華」とまで強調されたのは、日本一の過密都市であったため、ほかの町では見られないほどの大規模な火災となり、そうした火災が頻繁に発生したからです。江戸時代の城下町は、身分によって区別されており、町の総人口の半数は町人。その町人の住む割合は全体の2割の面積だったそうです。そこは非常に人口密度が高く、路地裏までびっしりと長屋が詰まっているといわれるほどでした。こうした町地にひとたび火災が発生すれば、消火能力の低い当時では、火は止まることなく延焼拡大してしまうということです。なんと3年に1度は江戸の町の大半が焦土化するような大火に見舞われたのです。“江戸の三大大火”と耳にしたこともありますが、“明暦の大火”は振袖火事ともいわれ、現在の文京区本郷の本妙寺から出火。出火原因は同じ振袖を着た娘が3人たて続けに病死したため、その振袖を焼き供養しようとしたところ、火のついた振袖が舞い上がり寺に燃え移ったというミステリアスな説があるそうです。火は2日間燃え続け、死者が10万人にも及んだ大火でした。
ともなると、このような事態に当時の南町奉行、大岡忠相は黙ってはいられません。享保3年(1718年)に町人による火消組織“町火消(まちびけし)”が誕生しました。大岡忠相は、名主らから防火方法を聴き取り、それをまとめて町火消の設置を命じ、身体能力の高いとび職たちを火消しに選出しました。火消し組合は、地域ごとに一つずつ。各地域に設置された番屋には櫓(やぐら)が組まれ、その上部の火の見櫓から番人が24時間態勢で警戒し、火事が起こると半鐘を鳴らして火消しを召集し消火作業を行ったそうです。町火消の給料は町人が負担する町費から支払われましたが、有力な商店の旦那衆が、店の名前を染めた印半纏を支給したり、町火消は店の雑用も務め、困った客が来たときは追っ払う用心棒の役割をすることもあったそうです。町内のもめごとを仲裁するのももっぱら町火消の役目でした。
そしてそのあとに、いろはの名前が付けられた、“いろは48組(当初は47組)”が編成されます。有名な“め組”は現在の港区周辺を担当しており、200人を超える鳶人足を抱える有力な組だったそうです。先日まで、歌舞伎座「七月大歌舞伎」では、市川團十郎が鳶頭め組辰五郎を勤めた『め組の喧嘩』が公演されていました。芝神明の境内で実際に起きた鳶と力士の喧嘩を題材にした人気の演目です。粋な團十郎の姿が目に浮かびますね。
当時の雰囲気を味わえる“消防博物館”が四谷にあります。江戸大火の消火風景のジオラマがあったり、華やかな各組の纏、武家の火消しのコスチュームなどを見ることができます。そして近代消防の時代の移り変わりや、消防クラシックカーやヘリコプターも勢揃いなのでお子様にも大人気です。今後の災害に対する備えにもしっかりと向き合うことができ、改めて勉強させられました。自然災害も多い日本ですが、共存するには“忘れないこと”が大切だと感じさせられます。
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html
消防博物館
https://www.tfd.metro.tokyo.lg.jp/taiken/hkkan/index.html
参考資料
https://www.nissho.or.jp/fire-brigade/rekishi/
https://www.kabuki-bito.jp/news/10072/
https://www.homes.co.jp/cont/press/reform/reform_01402/
https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/106738/