



【人形町せともの市の話】
毎年8月第1週の3日間、水天宮交差点から人形町交差点までの歩道で開かれる、全国の陶磁器販売店や窯元などが並ぶ「人形町せともの市」に行ってきました。
職人.comで扱う丹窓窯のスリップウェアや、ほかの職人さんの備前焼、江戸切子などを拝見することができました。有田焼、伊万里焼、唐津焼、波佐見焼、美濃焼、九谷焼、益子焼、京焼など、日本各地の陶磁器をはじめ、漆器やガラス製品なども並びます。
現在のせともの市は、1954年(昭和29年)に始まりました。陶磁器問屋が日頃の商売への感謝を表し、在庫処分も兼ねて市を開いたことが起源とされています。もともと日本橋川と旧箱崎川に囲まれた蛎殻町、浜町、人形町一帯は、水運に恵まれていたため、江戸の生活物資が集まる場所として発展しました。酒、砂糖、醤油、穀物などと並んで、陶磁器も大量に取り扱われていたといわれています。かつては蛎殻町と浜町を中心に、60軒を超える陶磁器問屋が集まり、江戸や関東一円で使われる器の流通を担っていました。人形町一帯は、まさに「せとものの町」だったのです。
せともの市では、市の初日と最終日に、せとものへの感謝と将来の発展を祈願する「陶彦大神」の例祭が行われます。あわせて、割れた器のカケラも供養されます。割れた器も金継ぎをすれば、また長く使うことができますが、それとは別に、供養するという形もあったのだと知りました。「陶彦大神」は、愛知県瀬戸市の深川神社にある陶彦社にもつながります。陶彦社に祀られているのは、瀬戸の焼き物の祖とされる加藤四郎左衛門景正です。瀬戸の陶業を支えた人物を神として祀り、陶祖の遺徳を後世に伝えています。
また、人形町のせともの市でカケラ供養を行うのは、日本橋の身延別院の住職です。身延別院は、日蓮宗の寺院として知られるだけでなく、日本橋の食文化とも深く結びつき、境内には、鰻供養塔があります。日本橋には、江戸以来、鰻の蒲焼を扱う店が多く集まってきました。日本橋蒲焼商組合では、毎年6月初めに身延別院へ集まり、鰻の供養と放生会として読経を行ったのち、神田川で鰻を放つという行事も続けられています。
人形町は、江戸時代初期から栄えた商業と芸能の町でもあります。かつては中村座や市村座などの歌舞伎の芝居小屋が置かれ、人形浄瑠璃や芝居、人形師たちとも縁の深い地域でした。人形をつくる職人や人形を扱う商人が多く集まったことが、町名の由来の一つともいわれています。
人形町では、8月は夏のせともの市、11月には人形市が開かれてきました。器や人形など、人の暮らしに身近なものを扱う商いが、信仰や季節の行事と結びつきながら、今の町にも受け継がれています。暮らしを支えるものに感謝する心が、こうした行事の中に受け継がれているのだと嬉しく感じました。
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html
参考資料
https://ningyocho.toukiichi.tokyo/
https://seto-fukagawashrine.com/history.html
http://minobu-betsuin.jp/precincts.html
https://ningyocho.or.jp/contents/event/november.html
https://nihombashi.keizai.biz/headline/1641/