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【玉川上水】

東京都羽村市から新宿区四谷大木戸まで、全長約43kmにわたり流れる「玉川上水」は、江戸初期に造られ、現在でも重要な水路として利用されています。

玉川上水は私にとって、幼いころから川遊びやウォーキング、自然を感じてリラックスできる場所として、身近な存在です。先日、ドライブの途中で玉川上水の水源である多摩川、東京都羽村市にある羽村取水堰を訪れました。羽村取水堰には、玉川上水を造った玉川兄弟の像や、牛枠と呼ばれる当時使われていた水の勢いを弱める道具が展示され、近くには玉川上水神社があり、自然や歴史を感じられる休憩スポットになっています。多摩川を訪れ、玉川上水の自然や歴史を感じ、記事のテーマに取り上げることにしました。

玉川上水が造られる前の江戸時代初期、江戸の町は急速に発展し、それに伴い人口も急増したことで、水不足が大きな社会問題となっていました。従来の上水だけでは不足を補えない状況にあり、江戸幕府は江戸への水を確保することが急務となっていました。そこで、多摩川の水を江戸に引き込む玉川上水の建設が計画され、工事担当者として選ばれたのが、のちに玉川兄弟と呼ばれる庄右衛門、清右衛門です。玉川兄弟はもともとどのような人物なのかは諸説あり、明確にはされていませんが、測量などに優れていたため抜擢されたと考えられています。

取水口が羽村になるまでには、複雑な地形や急な勾配に行く手を遮られ、水がうまく流れなかったり地中に吸い込まれるといった二度にわたる失敗を経験します。その後、多摩川が大きく蛇行して対岸とぶつかり、ちょうど取水口に向かって水が流れ込む地形である羽村の地にたどり着きました。承応2年(1653年)に上水工事が開始されます。

当時は手作業で川を造るため、相当な作業員がいたとされますが、玉川上水が通る武蔵野地域は原野が多く村落が乏しいので、作業員の調達が困難だったそうです。また、羽村から江戸までの高低差が小さく、水を流すには条件が厳しい状況でした。二度の失敗などで幕府から支給された六千両を使い果たし、玉川兄弟は私産を投じて工事を行います。しかし、さまざまな困難があった中、約8カ月というスピード工事で約43kmを掘り終わり、無事工事は完了します。まさにすばらしい偉業でした。この功績により「玉川」の姓が幕府から与えられました。

ちなみに、多摩川と玉川の漢字の違いですが、古くから歌枕として「調布の玉川」と表現されるなど、「多摩川」の漢字には「玉川」が当てられることも多くありました。つまりは、本来同じ川を指します。明治以降、本流の正式名称が「多摩川」に一元化された一方、飲料水を引くための水路であることから「玉のように清らかで美しい水」という意味合いを込めて「玉川」の文字を選んだともいわれ、玉川上水をはじめ、二子玉川などの地名には「玉」の漢字が残りました。

多摩川からの分水でできた玉川上水ですが、玉川上水にもいくつか分水があり、その分水を使用した「田村酒造場」と「石川酒造」という江戸時代から続く二つの歴史ある酒蔵があります。今回は、多摩川に行ったあとに東京都福生市にある田村酒造場に向かいました。予約をすると酒蔵見学もできるようですが、していなかったためショップに寄り、お土産の日本酒「嘉泉」を買って帰りました。普段は日本酒を飲まない私ですが、飲んでみると飲みやすく、とてもおいしくいただけました。ぜひ、近くにお越しの際には、酒蔵見学も兼ねて訪れてみてください。

銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html
田村酒造場
https://www.tamurashuzojo.com/

参考資料
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000099136.pdf
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000100739.pdf
https://www.buyo-gas.co.jp/public/jousui/jousui01.php