



【入浴の話】
「入浴は七病を除き七福を得る」。古代インド仏教に由来するとされる経典『仏説温室洗浴衆僧経』(通称『温室経』)に記された教えです。古代インドの名医「耆域(ぎいき/ジーヴァカ)」が、釈迦とその弟子たちに入浴(沐浴)を勧め、釈迦が入浴の功徳を説いたとされています。この経典は、中国で漢訳され仏教文化とともに日本へ伝わり、その教えは奈良時代に寺院へ浴堂が設けられる思想的背景の一つになったと考えられています。当時の寺院には、蒸気で体を温める「温室(蒸し風呂)」や、湯や水で体を洗い流す「浴室」が設けられていました。現在のような浴槽での入浴よりも、蒸気で体を温める方法が中心だったようです。
奈良時代、東大寺の大仏建立を発願した聖武天皇の皇后・光明皇后は、病人や貧しい人々の救済に力を注ぎました。同じころ、寺院の浴堂も僧侶だけでなく人々に開放され、「施浴(せよく)」が広まっていきます。入浴の機会を提供することは、仏の教えである慈悲を実践し、功徳を積む大切な行いと考えられていました。光明皇后には、自ら病人千人を入浴させたという「千人風呂伝説」も伝えられています。この伝説は、入浴が慈悲の実践として重んじられていたことを象徴する逸話として、現在まで語り継がれています。『温室経』では、入浴によって改善するとされる「七病」として、①肉体的な病、②風邪、③手足のしびれ、④冷え、⑤熱、⑥不潔、⑦疲労や眼の疲れが挙げられています。また、入浴によって得られる「七福」として、①無病、②体が清らかになり顔色が良くなる、③体臭や衣服の汚れがなくなる、④肌がうるおう、⑤福徳が増す、⑥口臭がなくなる、⑦衣服が清潔で美しくなるが説かれています。
世界各地ではさまざまな入浴文化が発達しました。古代日本では蒸し風呂が中心でしたが、古代ローマでは、大量のお湯を用いる大浴場「テルマエ」が築かれました。その後、この浴場文化は東ローマ(ビザンツ)世界にも受け継がれ、さらにイスラム教の清浄観と結びついてハマムへと発展しました。一方で、中世後期から近世にかけての西ヨーロッパの一部地域では、「入浴は病気を招く」と信じられていました。ペストなどの感染症が大流行した際、「入浴によって毛穴が開き、瘴気(しょうき)が体内に入り込む」という説が広まったためです。その結果、人々は入浴を避け、香水で体臭を覆い、下着を頻繁に替えることで清潔を保とうとしました。ヨーロッパで入浴や医療目的の温泉(スパ)が再び一般的になるのは、衛生学が発達した19世紀以降のことです。日本では、蒸し風呂の時代を経て、江戸時代には都市部を中心に銭湯や五右衛門風呂が登場します。人口密度の高い江戸では、労働による汗や汚れをすぐに洗い流せる場が求められていました。日本の湿潤な気候と豊富な水資源も、湯で体を洗い流す文化が発達した一因と考えられます。
神道の禊、キリスト教の洗礼、ヒンドゥー教の沐浴、ユダヤ教のミクヴェ、北米先住民のスウェットロッジなど、世界各地には水や蒸気による清めの儀礼があります。このように、入浴や沐浴、蒸気浴は、宗教儀式や霊的実践と深く結びついてきたことが分かります。体の汚れを落とすことは、心を整え、神聖な状態へ近づくことでもあったのです。現代ではその宗教的な意味を意識する機会は少なくなりましたが、お風呂に入ると、さっぱりしたり、気分転換になったりします。こうした感覚は、古くから人々が大切にしてきた「身を清める」という文化の名残なのかもしれません。
山一 湯浴みセット
https://www.shokunin.com/jp/yamaichi/yuami.html
参考資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/仏説温室洗浴衆僧経
https://www.nabunken.go.jp/nabunkenblog/2019/02/20190201.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/光明皇后
https://ja.wikipedia.org/wiki/施浴
https://www.gov-online.go.jp/eng/publicity/book/hlj/html/201903/201903_02_jp.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/古代ローマの公衆浴場
https://intojapanwaraku.com/rock/culture-rock/113169/lture-rock/113169/