



【鯉のぼり】
お花見の季節が終盤を迎え、心地よい風が葉桜を揺らして通り過ぎる今日この頃。4月下旬から5月上旬にかけては、日本各地の公園や川の両岸、そして橋に掲げられたたくさんの鯉のぼりが、青空を悠々と泳ぐ姿が見かけられます。
鯉のぼりの歴史は、江戸時代にまでさかのぼります。もともと武家では、端午の節句に向けて、門前に幟(のぼり)や旗指物(はたさしもの)を立てる習慣がありました。江戸時代中期になると、これを商人が模し、中国の「登竜門」という、鯉が滝を登って龍になるという伝説にあやかり、わが子の立身出世を願う象徴として、幟を「鯉」の形に象(かたど)ったものに変えて掲げるようになります。
こうして誕生した当時の鯉のぼりは、和紙で作られた黒い真鯉一つを揚げるのが一般的で、しだいに大型化しながら広がっていきました。歌川広重が1857年に発表した『名所江戸百景』のうち「水道橋駿河台」には、江戸時代の鯉のぼりが風に泳ぐ様子が、鮮やかに描き出されています。
明治時代後半から大正時代にかけて、鯉のぼりは少しずつ変化していきました。真鯉に加えて、赤い緋鯉(ひごい)を一対で掲げるようになったのです。武家発祥の行事であったこともあり、真鯉と緋鯉は「父と子」、あるいは単に一対の鯉として捉えられていました。
鯉のぼりが「家族の象徴」として人々の心に広く浸透したきっかけは、昭和6年に発表された童謡『こいのぼり』にあります。
やねより たかい こいのぼり
おおきい まごいは おとうさん
ちいさい ひごいは こどもたち
おもしろそうに およいでる
しかし、実際に空を泳ぐ鯉のぼりを見上げていて、不思議に思ったことはないでしょうか?童謡では「お父さん」と「子どもたち」だけで、歌詞の中に「お母さん」が登場しないのです。私自身、幼いころにこの歌を口ずさみながら、黒い真鯉と赤い緋鯉、そして小さな青い鯉が並んで泳ぐ様子を見て、「緋鯉」と、歌詞には出てこない「青鯉」も「子どもたち」なら、お母さんはどこへ行ったのだろうと不思議に感じていたことを思い出します。
その理由は、この童謡が作られた昭和6年の時点でも、まだ鯉が二つだけの鯉のぼりが主流だったからです。しかし戦後、高度経済成長期を経て家族のあり方が変化していく過程で、鯉のぼりの構成も変わっていきました。昭和30年代後半には、それまで子どもとされていた緋鯉が「お母さん」と見なされるようになり、新たに小さな青い鯉が「子ども」として加わったのです。こうして、家族全員で空を泳ぐ現在の鯉のぼりの姿が、イメージとして定着していきました。
現代の住宅事情により、昔のように鯉のぼり用の大きいポールを屋外に立てることは難しくなりました。しかし、時代や環境が変わっても、子どもの健やかな成長を願う気持ちが変わることはありません。そこでおすすめしたいのが、今の住空間に自然となじむ、「ここかしこの鯉のぼり」です。付属の棒で吊るすほか、壁に泳がせたり、天井から吊り下げたりと、毎年自由な飾り方を楽しめます。省スペースで飾れるコンパクトな設計ながら、越中八尾の「桂樹舎」による手漉き和紙と型染めの伝統技法を用いた本格的な仕上がりで、男の子の成長はもちろん、家族みんなの健康と開運、成功を景気よく後押ししてくれる縁起物として、端午の節句を彩ります。
生活様式が変化した現代において、無理なく伝統を暮らしに取り入れ、想いをつないでいく。そんな新たな端午の節句を提案してくれる鯉のぼりは、飾るたびに家族のあたたかなつながりを再確認させてくれます。
ここかしこ 鯉のぼり
https://www.shokunin.com/jp/kokokashiko/koinobori.html
参考資料
https://www.tamarokuto.or.jp/blog/blog/2023/05/01/carp-streamer/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8A
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%93%E3%81%84%E3%81%AE%E3%81%BC%E3%82%8A_(%E8%BF%91%E8%97%A4%E5%AE%AE%E5%AD%90)
https://weathernews.jp/s/topics/202204/250205/