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【ウィリアム・モリス】

19世紀イギリスのテキスタイルデザイナー、ウィリアム・モリス。彼が説いた「芸術と生活を統一化する」というアーツ・アンド・クラフツの精神は、時代を超えて受け継がれています。

「モダン・デザインの父」と称され、詩人・作家・思想家・活動家でもあったモリスは、1834年にロンドン郊外のウォルサムストウで生まれ、父はファイナンス業を営む実業家で中産階級の家庭に育ちました。父の没後、1848年にウッドフォード・ホールから再びウォルサムストウに戻り、「ウォーター・ハウス」(現ウィリアム・モリスギャラリー)で暮らしました。

1853年、モリスはオックスフォード大学エクセター・カレッジに入学。そこで生涯の友人で協力者となるエドワード・バーン=ジョーンズに出会います。1855年、中世美術の勉強のため2人はフランスを訪れ、モリスは建築家に、バーン=ジョーンズは画家になることを決心。翌年、モリスはジョージ・エドマンド・ストリート建築事務所に入所し、親友となるフィリップ・ウェッブと知り合いましたが、やがてモリスはあっさりと建築家でなく画家になることを志すようになり、バーン=ジョーンズが師事するラファエル前派の画家ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの門下生となります。

1857年の夏、ロセッティが依頼を受けたオックスフォード・ユニオンの壁画制作に参加したモリスは、ジェイン・バーデンと出会って恋に落ち、婚約。2人の新居としてウェッブに設計を依頼した赤煉瓦の家「レッド・ハウス」の建設が始まり、モリスは画家になる努力が実らず、装飾美術に身をささげる決心をしました。レッド・ハウスはモリスが構想し内装や家具を手がけ、ウェッブが建築図面化、バーン=ジョーンズは絵を描き、ロセッティも協力し、仲間たちの共同作業により完成しました。

この作業がきっかけとなり、1861年にモリスと仲間たちの7人により壁面装飾、装飾彫刻、ステンドグラス、金属製品、家具の5つのジャンルを総合生活芸術として活動する「モリス・マーシャル・フォークナー商会」が設立されました。1868年から70年にかけて、モリスは長編物語詩『地上の楽園』4部作を発表して詩人としても知られるようになったのち、1875年に「モリス商会」と改称、モリスが単独で経営するようになります。

モリス商会では、天然染料の復活や伝統的技術を重視し、手仕事の芸術化を目指して職人の地位を高めるためにデザインを描くようになります。モリスは、産業革命によって大量生産された粗悪な商品が広まっている状況を批判すると、職人によって生み出されていた美しい手工芸の復興、そして生活と芸術を統一することを主張。このモリスの理念は、1880年代前半ごろから、「アーツ・アンド・クラフツ運動」としてイギリス全土へ広がり、20世紀初めのモダンデザインやバウハウス運動の基礎となっていきました。

晩年になり、モリスは書物の私家版印刷工房「ケルムスコット・プレス」を創設し、全53書目、66冊の書物を出版します。「書物というものはすべて〈美しい物〉であるべきだ」という願いのもとに、美しい活字で、美しい用紙に印刷され、美しい装丁で製本することを実証しました。1896年、モリスはケルムスコット・ハウスにて死去。墓標はウェッブによりデザインされました。

揺れ動き形を変えながらも、彼の中にある「美」を追求することを止めず、それを自分だけに留まらせることなく人々に広げ、ついには時代を変えていったウィリアム・モリス。長い年月を経てなお愛されているモリスの美しいテキスタイルのように、彼の成し遂げた偉業を忘れることなく語り継いでいきたいものです。

参考資料
https://www.william-morris.jp/