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【武雄温泉楼門・新館】

佐賀県武雄市の武雄温泉は、約1300年前の『肥前国風土記』に記された、九州を代表する歴史ある温泉地です。古くは神功皇后も入浴されたと伝えられています。また、1592年の文禄の役で豊臣秀吉が朝鮮出兵に際し「柄崎温泉(現・武雄温泉)」を兵士の湯治場に定め、示した朱印状「入浴心得」も残されています。宮本武蔵やシーボルト、伊達政宗、伊能忠敬などが入浴した記録もあり、多くの武将や旅人に親しまれてきました。

明治期に入ると近代温泉地としての姿を整えていきます。現在の武雄温泉の象徴とも言える楼門と新館は、大正期に建てられ、全国的にも珍しい温泉文化と近代建築が融合する建築物です。楼門は二層構造で、和風建築を基調としながらも、中国風の意匠や近代建築の要素が取り入れられ、朱塗りの壮麗さに表れています。一方、新館は楼門と一体となるように設計され、左右対称の外観が特徴です。内部には当時の先進的な設備が導入され、浴場でありながら格式ある公共建築の品格が感じられます。また、木造の構造にガラスや装飾金物、有田焼の磁器のタイルや和製マジョリカタイルを組み合わせることで、伝統と近代性が共存する空間が生み出されています。

この武雄温泉楼門・新館を設計したのは、日本近代建築の父とも称され、日本に西洋建築を本格的に根付かせた辰野金吾です。辰野の建築は、単なる西洋建築の模倣ではなく、日本の風土や文化に合わせて再構成されている点に特徴があります。武雄温泉でも、近代建築の合理性と装飾性を取り入れ、温泉施設という用途にふさわしい「親しみ」と「格式」を両立させています。辰野金吾は日本各地に数多くの名建築を残しており、代表的なものとして知られるのが、赤レンガ造りの東京駅丸の内駅舎。そのほかにも日本銀行本店や、日本銀行の地方支店、奈良ホテル、旧唐津銀行など西洋建築が挙げられますが、そのなかで、和洋折衷な建築でかつ浴場設計は武雄温泉だけ。地方都市において、これほど完成度の高い辰野建築が残されている点も、武雄温泉の大きな価値と言えます。

そして、残念ながら今回実物を見学することはできなかったのですが、東京駅に復原された八角形ドームの天井で省かれ、どこに行ってしまったのかと謎を呼んだ十二支のうちの四支。復原の翌年、武雄温泉楼門二階天井で子、卯、午、酉の彫り絵が東西南北に配置されているのが発見されました。細部にまで物語性と装飾性が込められていて、ここからも辰野の遊び心を感じられます。

町の財産として支えられている武雄温泉。そのため色彩については、町の象徴であることを重視した地元側の意向が反映されたようです。神社仏閣の門や城郭や重要施設に使われる朱色は「ここは特別な場所である」ことを視覚的に示す色で、武雄温泉を「ただの湯屋」ではなく、町を代表する名所、格式ある温泉として位置づけたいという思いがあったようです。辰野金吾は、本来それほど朱色を多用する建築家ではありません。しかし武雄温泉においては、和風建築に中国風の意匠を取り入れた点や、温泉という施設の性質、そして地元の熱意を汲み取り、あえて朱色を用いる設計に至ったと考えられます。この楼門は、彼の設計思想に地元の象徴性や観光振興への意識が融合して誕生したものと言えます。

朱色の門をくぐった瞬間、空気がやわらぎ、別世界に足を踏み入れたように感じました。外の喧騒から切り離され、視界の先に広がるのは、どこか懐かしい雰囲気。武雄温泉の楼門は、単なる入口ではなく現代から歴史の歩みに触れる「境界」のようにも感じられることでしょう。

武雄温泉
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