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【上野のとんかつ】

銀座、有楽町からもアクセスが良い上野。お買い物や文化的な施設も多く、今も昔もいつもにぎわい、ちょっぴりレトロでなじみやすいエリアです。そんな上野で日頃から気になっていることがあります。さほど大きな問題でもないのですが今回ちょっと調べてみることに。それは、なぜ上野にはとんかつ屋さんが多いのか?です。しかも名店揃い。食通の方には「そんなことも知らなかったのか!」と思われるかもしれませんが、知りませんでした。なんとなく感じていましたが、やはり“とんかつ”が生まれた聖地でした。

日本への西洋料理の到来は1543年の鉄砲伝来から鎖国に入るまでの間で、ポルトガルやスペインの商人による南蛮貿易によって新たな食材や香辛料が入ってきたようです。しかし輸入の規模と食習慣の違いや、仏教において肉食は禁じられていたので、日本の食文化を変えるほどの影響力はありませんでした。その後200年以上の鎖国を経てペリーによる黒船来航がきっかけとなり開国が宣言されると、少しずつですがしだいに西洋料理は広まっていったのです。とはいえ幕末の開国以降もまだまだ庶民には高嶺の花。明治初期に味わうことができたのは階級の高い方のみでした。高価な西洋食材や西洋食器を調達するのは至難の業、明治後期になって庶民の生活の中に日本の食材や調理法でアレンジを加え、自分たちの味覚にあった新しい味が提案されました。日本風西洋料理「洋食」が誕生したのです。

憧れの三大洋食として登場したのが、“とんかつ”“ライスカレー”“コロッケ”です。当時も人気の“とんかつ”はフランス語のコートレット、英語のカットレットに由来する「ポークカツレツ」から始まりました。考案したのは銀座の老舗「煉瓦亭」です。当初はフランス料理店として、「仔牛のコートレット」を提供していたようですが、「もっとさっぱりと味わえるもの」「パンではなくてご飯で食べたい」という要望もあり、牛肉ではなく豚肉を使用したり、衣の粉チーズを卵に代えて天ぷらのようにたっぷりの油で揚げてみたり、パン皿にご飯を盛りフォークの背にライスをのせて食べるスタイルや生のキャベツの千切りを添えるスタイルが生み出されました。

そして、宮内省大膳寮で西洋料理担当だった島田信二郎氏が、上野御徒町の「ぽんち軒」のコックをしていた当時に「ビフテキは一寸もある厚いやつがあるのに、どうしてカツレツは厚いのができないのかね」と客が言うのを聞いて、厚い肉(2.5~3cm)の中心まで火を通すとんかつ調理法を考案し提供を始めました。これが厚切り肉“とんかつ”の誕生になります。その後、第二次世界大戦による物資統制のため、とんかつの火は一時的に消えてしまいますが、おいしいお味は忘れません!再びとんかつブームとなり、映画監督の小津安二郎氏が愛した「ほうらい屋」、カツサンド発祥で“森繁喜劇とんかつ一代”の舞台にもなった「井泉本店」など、今では上野エリアで40〜50軒以上のお店でとんかつを提供しているそうです。

気合いを入れたい年初、受験シーズンや冬季オリンピックが間近でもありますので、“とんかつ食べて勝つ”年にしていきたいですね。

銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html
とんかつ とん平
https://maps.app.goo.gl/pRC7SniQSFNU9CSb9

参考資料
https://artplaza.geidai.ac.jp/sights/15649/
http://www2a.biglobe.ne.jp/~hmikami/tonkatu/history.htm
https://www.plenus.co.jp/kome-academy/roots/western.html
https://www.alt-alc.com/post/日本における西洋料理の導入