


【小樽中央市場と梁川商店街】
戦後まもない1946年(昭和21年)、小樽の街に新しい生活の拠点が生まれました。それが「小樽中央市場」です。満州など外地からの引揚者たちが生活の糧を求め、地元の有志と協力しながら、バラック造りの仮設店舗で始めたこの市場は、戦後の混乱期に人々の暮らしを支える大切な場所でした。
しかし、都市計画の一環として立ち退きの危機に直面した際、当時の組合会長・秋田民武氏が市長に直訴し、市民生活に不可欠な市場として存続が認められます。この決断が小樽中央市場の歴史を大きく動かしました。1953年(昭和28年)、鉄筋コンクリート造りの第1棟が完成し、翌年には第2棟、1956年(昭和31年)には第3棟が立ち並びました。当時としては近代的な市場で、北海道全体から注目を集める存在となります。
そして市場の発展を支えたのは、小樽港と鉄道を結ぶ旧手宮線です。小樽港は北海道の玄関口として、ニシンやカレイ、ホッケなどの海産物が水揚げされる拠点として栄えていました。その魚介類や物資を市場へ運ぶため、旧手宮線は港から手宮駅を経由し幹線鉄道へとつながる重要な物流ルートを担っていたのです。この鉄路があったからこそ、小樽中央市場は北海道の食文化を広げる拠点となりました。
物流の動脈を活用したのが「ガンガン部隊」と呼ばれる女性行商人たちです。彼女たちは市場で仕入れた鮮魚や野菜をブリキ製の缶に詰め、背負って鉄道に乗り込み、空知や富良野、岩見沢などの内陸部へと運びました。缶の重さは20kgを超えることもあり、肩に食い込む痛みに耐えながら、毎日のように産炭地の家庭を支えたのです。昭和30年代にはその勢いが最盛期を迎え、国鉄が「行商指定車」という専用車両を設けるほどでした。彼女たちの姿は、戦後の北海道における女性の生活力とたくましさを象徴する存在であり、北海道の暮らしを支えた歴史の証人です。
1965年(昭和40年)、小樽中央市場は最盛期を迎え、多くの人々でにぎわいました。しかし、時代の流れとともにスーパーマーケットの普及や人口減少により、活気はしだいに薄れていきます。それでも市場はあきらめません。空き店舗を活用したカフェやギャラリーの導入、イベント開催など、新しい試みを重ねながら再生への道を歩んでいます。現在の小樽中央市場は、鮮魚店や青果店、カフェが並び、地元の人々と観光客が交差する空間です。旬の海産物を味わえる食堂や、昔ながらの惣菜店、そして市場ならではの温かい人情。スーパーマーケットでは味わえない「顔の見える買い物」が大切に残されています。
小樽中央市場のある「梁川(やながわ)商店街」もまた、歴史を刻む通りです。その名の由来は、明治期の政治家・榎本武揚氏の号「梁川(りょうせん)」にあります。榎本氏は小樽の天然の良港に着目し、将来必ず貿易と文化の拠点になると確信して市街地開発を進めました。その確信は現実となり、明治から昭和初期までの約70年間、小樽は北海道経済の中心として黄金時代を築きます。梁川商店街は昭和初期から戦後にかけて商人や職人でにぎわい、生活を支える商業拠点でした。しかし昭和後期から平成にかけて大型店の進出などにより衰退の危機に直面します。それでも地元の商店主たちは、昔ながらの店を守りながら、空きテナントの再活用やマーケットの開催など新しい風を取り込みました。
小樽中央市場で旬の食材を手にし、梁川商店街で一休みし、旧手宮線に足を止めて物流と暮らしが交錯した時代へ思いを馳せる、そんな散策は小樽ならではの旅の醍醐味です。市場で味わう新鮮な海の幸、商店街で見つける昭和レトロな看板や石造りの建物、そして線路跡に残る歴史の記憶。異なる来歴を抱えながら地域に深く根を張る二つの商業エリアは、小樽の街の生活と文化を映す鏡として、この先も粘り強くその魅力を発信し続けるでしょう。
小樽ショールーム
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小樽中央市場
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小樽 梁川商店街
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