



【菅原道真と天満宮】
全国には、菅原道真公を御祭神とする神社「天満宮」が約12000社あるとされています。当店今出川ショールームがある京都市上京区にも、北野天満宮、水火天満宮などをはじめとする天満宮があり、先日訪れた福岡では、初めて太宰府天満宮を参拝させていただく機会に恵まれました。そして先週は、まもなく見頃を迎えるツツジが咲く、長岡京市の長岡天満宮へ。「学問の神様」として広く信仰を集める菅原道真公ですが、なぜ道真公を祀る天満宮は、日本全国に建立されることになったのでしょうか。
菅原道真は、学者、政治家、そして漢詩人として活躍した平安時代の貴族。優れた学識を持ち、宇多天皇に重用されて右大臣にまで昇進した道真公は、学問の力のみで出世した「文人政治家」として、当時は異例な存在でした。文人としても政治家としても卓越した力量を発揮した道真公でしたが、昌泰4年(901年)、藤原氏の政敵として陰謀に巻き込まれ、無実の罪で太宰府へ左遷されてしまいます。延喜3年(903年)に、失意のまま道真公が太宰府で亡くなると、京の都では落雷・疫病・地震などの災いが立て続けに発生。これらの天変地異と、左遷に関わった人物たちの相次ぐ死去は、道真公の怨霊によるものと恐れられるようになり、朝廷は道真公の霊を鎮めるため、神として祀ることを決定します。その霊は「天満大自在天神(てんまんだいじざいてんじん)」と称され、各地に天満宮が建立されることとなりました。
福岡県の太宰府天満宮は、全国にある天満宮の「総本宮」であり、菅原道真公の墓所の上に社殿が配置された日本で唯一の「菅聖庿(かんせいびょう)」です。道真公が亡くなられたあとご遺体を牛車に乗せて運んでいたところ、突然牛が道に伏せ動かなくなってしまいました。人々は「これは道真公ご自身のご意志ではないか」と考え、弟子の味酒安行(うまさけのやすゆき)がこの場所にご遺体を埋葬します。延喜5年(905年)、現在の御本殿が建っている場所に、祀庿(しびょう)が建てられ、延喜19年(919年)には勅命により社殿が竣工されました。太宰府天満宮は、「墓所」として道真公が最初に祀られた場所で、天神信仰が始まった地であることから、総本宮と位置づけられています。もう一つ、広く知られている京都の北野天満宮は、天暦元年(947年)に、平安京の北西(天門)にあたる北野の地に創建されました。北野天満宮は、日本各地で道真公をお祀りしている多くの神社へその御霊を分けている「総本社」であり、また、京都という政治・文化の拠点にあったことで天神信仰が広まる際に大きな役割を果たしたことから、天満宮の中心的な存在となりました。
その後都から地方へと天神信仰が広まり、天満宮が日本全国に建てられるようになったのは、菅原道真公が「学問の神様」としても広く崇敬されてきたからという一面があります。道真公の高い学識と誠実な人柄は、時代を越えて人々の心を惹きつけ、特に学業成就を願う人々の間では力強い信仰の対象であり続けました。道真公は自らのための「勉学」を、社会のための「学問」へと昇華させ、学問を社会のために生かすために、学者として、そして政治家としても力を尽くしました。大陸の知を学びながらも日本独自の文化を大切にし、国風文化の礎を築き上げ、外国の書を日本語に翻訳する一方で、日本の文学を大陸の国々に紹介し、文化交流にも大きく貢献しています。その学問への姿勢は「和魂漢才」、すなわち日本の精神(和魂)と外国の知識(漢才)を調和させる姿勢として今も尊ばれています。こうして天満宮は、学問成就や努力の象徴として、今なお全国各地で多くの人々の篤い信仰を集めているのです。
若松ショールーム
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今出川ショールーム
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参考資料
https://www.dazaifutenmangu.or.jp/ (太宰府天満宮)
https://kitanotenmangu.or.jp/ (北野天満宮)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8F%85%E5%8E%9F%E9%81%93%E7%9C%9F
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%A5%9E%E4%BF%A1%E4%BB%B0