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【桜と人の物語】

日本に暮らす人々を魅了してやまない桜。この季節になると、「どこそこの桜が満開だ」「あそこの桜はもう少しかかるだろう」、そんな挨拶が交わされているのを、あちらこちらで耳にします。日本にある桜の種類は数百種にも及び、「日本といえば桜」のイメージがありますが、原産地は意外にもヒマラヤ。おそらくは鳥によって世界各地に運ばれた種が、日本にもやってきて根付き、風土の中で変化してきたと考えられています。

桜は古来、村のどこからも見える場所や街道沿い、庭園などに植えられてきました。現在知られる品種のうち、ヤマザクラ、ヒガンザクラ、オオシマザクラの系統以外の品種は人の手で品種改良されたもので、種からは育たないものがほとんどだそうです。実生で育つヤマザクラなどにしても、自然に交雑を繰り返しており、種を拾って育てたからといって親木と同じタイプの花を咲かせる木に成長することは稀なのだとか。そんなわけで桜は増やしたり育てたりすることがとても難しく、園芸用の桜は通常接木という形で栽培されています。

日本各地には、岐阜県の根尾谷淡墨桜や福島県の三春滝桜など、樹齢数百年から千年を超える、銘木と呼ばれる桜の木があります。自然に育まれ、また地域の方たちによって代々守り継がれてきましたが、明治以降、産業の発展や戦争の影響を受けて、しだいにそうした桜を取り巻く環境が変わり始めました。その変化にいち早く気づいたのが、仁和寺・旧御室御所の造園を担う京都の植木屋、植藤の14代目当主であった佐野藤右衛門でした。「守り育てていかなければすばらしい桜の品種が失われてしまう」。そうした危機感から、14代佐野藤右衛門は「桜狂い」といわれるほどの情熱で桜の保存に取り組み始めます。飛行機や列車などがない時代、北は北海道から南は九州までを休む間もなく徒歩で巡り、親木から種や接ぎ穂をもらい、亡くなるまでに集め育てた桜は180種。いつしか人々から「桜守(さくらもり)」と呼ばれるようになっていました。その息子である15代佐野藤右衛門もまた「桜狂い」「桜守」を引き継いで桜の保存活動を続け、175種の桜を描かせた『桜図譜』を残しました。生涯のうちに手がけた桜は250種、数十万本にも及び、京都の桜の名所として知られる円山公園の枝垂桜も、15代目が大変な苦労をして育てたものだそうです。15代佐野藤右衛門が種から育てた桜が、その死とともにみるみる弱って枯れてしまったという、桜との特別な絆を感じさせるエピソードも残っています。そして現在「桜守」と呼ばれているのは、その息子である16代佐野藤右衛門さん。陶芸家でデザイナーのイサム・ノグチと共にパリ・ユネスコ本部の日本庭園を手がけるなど世界的に活躍する一方、桜の「守り」を続けています。ご著書も多数あるのですが、自然との深い関わりから紡がれる言葉はシンプルで力強く、ともすると現代社会の中でふわふわと彷徨ってしまう意識を、どすんと地面につなげてくれるような気がします。

16代佐野藤右衛門さんがお花見について語られた文章の中に「桜は人から離してしまうと寂しがる」「花見は帰りにお礼を言って帰るのがいい」「ゴザやムシロはいいが、ビニールシートを敷いてしまうとその間桜が呼吸できない」といったことが書かれていました。ふと、本来のお花見とは、人間ばかりが楽しむのではなく、人と桜の木が一緒になって楽しむ、年に一度のお祭りだったのではないか、そんなことを感じました。長い歴史を人間と共に生きてきた桜。今年のお花見は、花を眺めるだけでなく、桜の木や、木を守り継いできた人々にも心を傾けながら味わってみたいと思います。

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参考資料
『桜のいのち、庭のこころ』(佐野藤右衛門、聞き書き 塩野米松、草思社、1998年)
https://www.uetoh.co.jp/about/sanotouemon/
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E9%87%8E%E8%97%A4%E5%8F%B3%E8%A1%9B%E9%96%80
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AF%E3%83%A9