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【ウィリアム・スミス・クラーク】

北海道のイメージとして取り上げられることが多いのが、札幌市の羊ヶ丘展望台にある「クラーク博士像」ですよね。北海道旅行で、広大な土地をバックにあのポーズで写真を撮ったことがある方も多いはず。「Boys, be ambitious.」(青年よ、大志を抱け)の言葉は有名ですが、この言葉は、彼が日本を去る時に発した言葉とされています。では、そのクラーク博士とは北海道でどのような功績を残し、銅像として残されるに至ったのでしょうか。

クラーク博士として呼ばれることの多い彼は、「ウィリアム・スミス・クラーク」という名のアメリカ人の教育者です。江戸時代の幕末から明治時代、日本で「殖産興業」「富国強兵」を進めるために、諸外国の技術や学問などを取り入れる目的で政府に雇用された「お雇い外国人」として訪日しました。クラークは、アメリカのマサチューセッツ州で生まれ、1848年に同州にあるアマースト大学を卒業し、自らの出身校であるウィリストン神学校で化学を教えていました。その後、化学と植物学を学ぶために、ドイツに留学しゲッティンゲン大学で化学の博士号を取得。帰国後はアマースト大学の教授として化学、動物学、植物学を教えました。

そこで、日本に来るきっかけとなる出会いがあります。それが、同志社大学の創立者である新島襄です。新島襄は、1864年に密出国して渡米し、キリスト教の洗礼を受けたあと、高校・大学・神学校とアメリカの学校で学び、1874年に帰国するまでアメリカで過ごしました。その新島襄が学んだ大学がアマースト大学であり、クラークからは化学を学んでいたのです。大学を卒業したのち、新島は岩倉使節団の通訳として欧米諸国へと随行しました。使節団の活動を終えたあとは、キリスト教の宣教師として日本伝道通信員となり、日本へ帰国。そのころ日本では、明治政府が、近代国家への歩みを進める中で、南下するロシアへの防備と産業の育成を図る必要があり、北海道の開拓は重大な国家プロジェクトとなっていました。原生林が広がる北海道の開拓には、まず農地を整備し、農業を産業として発展させ、人が住める環境を整えることが必要でした。北海道の厳しい気候や広大な土地を開拓する必要性から、大規模開拓の経験があるアメリカから技術者を招くことになり、そこで日本に帰国していた新島襄が、アマースト大学で教えを受けたクラーク博士を政府に紹介したのです。

そのころクラークは、マサチューセッツ農科大学の学長に就任していましたが、日本政府からの強い要請を受け、大学の休暇を利用して来日し、札幌農学校初代教頭に赴任しました。クラークは、マサチューセッツ農科大学のカリキュラムを札幌農学校でも取り入れ、生徒が農業を実際に体験するための農場を作り、農学だけでなく動物学・植物学・理学・工学など幅広い分野の教育を行いました。また、キリスト教の教えによる道徳教育などすべての授業を英語で行います。農業技術に関することだけでなく、北海道開拓の一環でもある南下するロシアへの防備についても重要課題であったことから、有事の際に、札幌農学校の生徒が屯田兵の指揮官となることを想定しての兵式訓練も導入。その訓練を行う場として、また入学式・卒業式や講演会などを行う場として、「演武場」の建設を提言しました。この提言のもとに作られた演武場が、有名な観光スポットとなっている「札幌時計台」です。クラークが北海道で過ごしたのは9カ月と短い間であり、演武場の完成時にはすでに帰国していましたが、クラークの教え子である1期生の卒業式はこの演武場で行われました。クラークが初代教頭として築き上げた札幌農学校のカリキュラムは、クラーク離任後もマサチューセッツ農科大学出身者が教頭として赴任し引き継がれ、札幌農学校で学んだ卒業生らは、北海道だけでなく日本の近代化を支える人材として活躍していきました。

北海道開拓の礎を築いた一人として、その功績を後世に語り継ぐため、大正15年(北海道帝国大学時代)に大学構内に「ウィリアム.S.クラーク胸像」が建立されました。初代クラーク像は、太平洋戦争の金属類回収令により供出されましたが、その後再鋳造されたニ代目のクラーク胸像が現在も北海道大学構内にあります。皆さんが思い浮かべるクラーク博士像といえば、右手を挙げた全身の銅像だと思います。実は、北海道大学構内のクラーク像が観光客に人気があり、大学構内を訪れる観光客が増加したことで、大学側が学術研究などの妨げになるようになったことから観光バスの立ち入りを制限するに至りました。しかし、札幌のシンボルとして定着していたクラーク博士を見に来てもらえるように、さっぽろ羊ヶ丘展望台に新たなクラーク博士像を建立することにし、昭和51年にあの有名なポーズのクラーク博士像が完成したのです。札幌市民としては、なじみはあるものの意外と実際に訪れたことがないという方も多いかもしれないクラーク博士像や札幌時計台ですが、今の札幌市や北海道の歴史に欠かせない存在であるクラーク博士とそのゆかりのある札幌時計台を訪れてみるのもいいかもしれません。

小樽ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/otaru.html

参考資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/ウィリアム・スミス・クラーク
https://www.hitsujigaoka.jp/clark/
https://ja.wikipedia.org/wiki/新島襄