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【奈良の志賀直哉旧居】

奈良に行くとたびたび訪れているお気に入りの場所の一つに、近代日本文学を代表する小説家、志賀直哉の旧居があります。にぎやかな駅の周辺から、猿沢池、ならまちを抜け、奈良ホテルを過ぎ、高畑という歴史ある住宅街のほうへ。近鉄奈良駅から徒歩25分ほど。バスでも近くまで行くことができますが、たいていは散歩を楽しみながらぶらぶらと歩いて行きます。

1883年(明治16年)、宮城県石巻に生まれた志賀直哉は、2歳の時に実業家だった父・志賀直温と共に東京に移り、祖父母に育てられます。学習院中・高等科を経て1906年7月、東京帝国大学英文学科に入学。夏目漱石による講義以外はほとんど関心を持たなかったという志賀ですが、この時期に数多くの文学作品に触れ、在学中から執筆活動を開始しました。1910年には、武者小路実篤や、複数の同人誌のメンバーらと共に雑誌『白樺』を刊行。その中には、後年民藝運動を起こす柳宗悦もいました。『白樺』は、のちに「白樺派」と呼ばれる理想主義・人道主義・個人主義的な文芸思潮を生み、明治政府が国を挙げて推し進めてきた官製的な芸術観念を打ち破る、新たな流れとなっていきます。

志賀直哉は生涯のうちに何度も居を移しており、その全貌はとても書ききれないのですが、彼が関西にやって来たのは1923年(大正12年)のこと。最初は京都に、1925年には奈良へと移り住み、その後1929年に自ら設計して建てさせたのが、この「志賀直哉旧居」です。数寄屋建築でありながら、随所に洋風も取り入れた美しい邸宅で、入ってすぐの階段を上ると若草山や三笠山を間近に望むことができる和室が。吹き抜ける風の心地よさについ時間の経つのを忘れてしまいます。1階には静けさと陰影の漂う北向きの書斎のほか、茶道を習っていた夫人や娘たちのための茶室もあります。広々とした食堂の前のサンルームは、庭に面した大きな窓と天井から光が差し込み、いかにも居心地がよさそうです。志賀直哉を慕う多くの文化人が引きも切らず訪れていたというこの家は、いつのころからか「高畑サロン」と呼ばれるようになりました。武者小路実篤、瀧井孝作、小林多喜二、小林秀雄、関東大震災で焼け出され京都に移住した柳宗悦、のちに第206世東大寺別当(住職)となる上司海雲(かみつかさ かいうん)、梅原龍三郎など、綺羅星の如き人々がこの場所に集って芸術を論じ、また娯楽に興じました。

延べ13年に及ぶ奈良での暮らしは1938年(昭和13年)、一家が東京に帰ることになったために幕を閉じますが、その当時の思いを志賀直哉は次のように記しています。「妻子五人ゐる自分の家にゐながら、二三日すると、矢も盾も堪らず、奈良に帰りたくなるのは不思議な位だ。」「兎に角、奈良は美しい所だ。自然が美しく、残っている建築も美しい。そして二つが互に溶けあってゐる点は他に比を見ないといって差支へない。今の奈良は昔の都の一部分に過ぎないが、名画の残欠が美しいやうに美しい。」

ところで、志賀直哉旧居にはかつて、老朽化による解体の危機がありました。地域住民の方をはじめとする多くの方々の尽力により保存が決まり、1978年に学校法人奈良学園が購入、大規模な修理と復元を行って一般公開を続けてくださっていることを、深い感謝と共に付け加えておきたいと思います。

志賀直哉旧居の周辺には新薬師寺や入江泰吉記念奈良市写真美術館、白毫寺など、まだまだ見どころがたくさんあるので、ぜひ足を伸ばしてみてください。

奈良学園セミナーハウス 志賀直哉旧居
https://www.naragakuen.jp/sgnoy/
ショールームのご案内
https://www.shokunin.com/jp/showroom/

参考資料
『志賀直哉旧居の復元』(呉谷充利 編、学校法人奈良学園、2009年)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%97%E8%B3%80%E7%9B%B4%E5%93%89
https://www.daiwahouse.co.jp/tryie/and/vol104/sp.html