





【森鴎外邸 ~観潮楼の今~】
東京都文京区、東京メトロ千駄木駅。坂道の多いこの街で本日の目的地へ向かうには、まず「団子坂」を上ります。この団子坂とは、江戸川乱歩の推理小説『D坂の殺人事件』のモデルとなった坂道で、乱歩が生み出した名探偵・明智小五郎が、作品内で初登場しました。文豪たちが多いことでも知られるエリアです。団子坂を上りきった先には、文京区立森鴎外記念館が建っています。
森鴎外といえば明治から大正時代にかけて活躍した文豪として、日本の小説家・評論家・翻訳家と紹介されますが、文豪として名を上げる以前には医学を学んだ経験もあります。1862年、現在の島根県津和野町に生まれ、幼少期から学問に励み、14歳で上京し医学を志しました。その後ドイツへ留学、西洋の文学や思想に触れます。帰国後に、軍医として勤務しながら文学活動を開始。鴎外の作品は西洋と日本の文化を融合させた独特の文体と深い洞察力で知られ、『舞姫』などの作品で有名になりました。晩年は、歴史小説の執筆に注力し、59歳で肺癌のため生涯を閉じました。
森鴎外が半生を過ごした地がこの団子坂上で、亡くなるまでの30年間、家族と共に暮らしていました。当時は2階の書斎から東京湾が見えたことから、鴎外はこちらを「観潮楼」(かんちょうろう)と名付け、書斎は歌会が催されるサロンとしても機能していたようです。
現在は静かで凛とした記念館が建ち、陶器二三雄氏設計による建築へと生まれ変わりました。裏路地からは、いにしえの観潮楼を偲ぶ庭の大銀杏や、三人冗語(森鴎外、幸田露伴、斎藤緑雨が雑誌で行った作品合評)の石を眺めることができます。外壁は若き鴎外が学んだドイツの歴史的街並みのイメージの中に、現代を感じさせる表現を目指したそうです。この建築のほとんどがすべて職人の方々の手作りでできており、外壁のレンガ削りは大変な労力を伴う作業だったそうですが、夢を持ち建築技術の継承を目指す若者にとっては重要な機会ともなりました。
埋め立てが進んだことで陸は伸び、東京湾を臨むことはとてもできませんが、裏門を出た向かいにはビルの隙間にうまくはまったスカイツリーが見えて、ちょっとしたビュースポットにもなっています。観潮楼は、当時の面影を所々わずかに残しつつ、モダンな記念館となり、森鴎外の生涯を紹介しています。
文京区立森鴎外記念館
https://moriogai-kinenkan.jp/
参考資料
https://www.city.bunkyo.lg.jp/b014/p004367.html
https://mindmeister.jp/posts/moriogai