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【北大路魯山人】

美食家であり陶芸家である、北大路魯山人(きたおおじろさんじん)。国民的食漫画『美味しんぼ』に登場する「海原雄山」のモデルとなったことでも知られています。

北大路魯山人こと北大路房次郎は、1883年(明治16年)に京都の上賀茂神社の社家に生まれました。しかし、母の不貞によって生まれた子であったため、生活は困窮し、行き場もなく他家を転々とする幼少期を送ります。料理に関心を持ち始めたのも、最終的に引き取られた家で6歳から炊事をしていたためだといわれています。その後、芸術に造詣を深めながら成長した房次郎は、「魯(愚かな)山人」と名乗り、1921年に「美食倶楽部」、1925年に「星岡茶寮」という会員制の料亭を開き、自ら料理の腕を振るいました。そして、各界の名士たちを相手に、その独創的な料理を盛り付けるための器作りにまで取り組むようになりました。

非常に勉強熱心であった魯山人。書、篆刻(てんこく)、陶芸、美食と幅広いジャンルに精通し、そのどれもで腕を上げ、世に名を馳せていきました。四季を尊び、先人から学びながらも、遊び心を忘れない。そんな美に対する姿勢を持つ魯山人は、日本料理の基礎を築いたことでも広く知られています。多くの自著では尊敬する人物を褒めたたえる一方、考えが合わない芸術家や食通から、世界的画家のピカソまでも容赦なく批評し、その人柄は傲慢、不遜、非常識と表現されます。6度の結婚はすべて破綻。不幸な生い立ちを跳ね除けるかのように芸術の世界に身を投じ成果を残した魯山人ですが、周囲との衝突を繰り返す破天荒な人物でした。

自身の美意識を極限まで高めるために、膨大な数のものを見て、食べ、目と腕を磨いた魯山人が生涯に作った作品の数は約20万点にのぼります。陶芸では、織部、備前、志野、信楽、瀬戸焼など幅広く挑戦し、織部焼の人間国宝に指定されるも、肩書きを嫌い、辞退。魯山人の作品は、「使う」ことで一層の輝きを放ち、「器は料理の着物だ」という言葉を残したように、器はそれ自体が主役なのではなく、実際に料理を盛ってこそのもの、という美意識を作品作りにも貫き通しました。人柄への評価とは結びつかないような謙虚な考え方、季節の移ろいや自然を愛する心、自由でおおらかな作品には、魯山人の根底にある、徹底して「美」を求めるたった一つの純粋な思いが表れているような気がします。

京都・祇園にひっそりと溶け込む「何必館・京都現代美術館」には、北大路魯山人作品室が構えられ、そのコレクションは質・量ともに日本有数といわれています。定説を「何ぞ、必ずしも」と疑う自由な精神を持ち続けたいという願いをこめて名付けられ、1981年(昭和56年)に開館した何必館(かひつかん)。にぎやかな祇園の真ん中で一歩足を踏み入れると静寂が訪れ、5階にある坪庭「光庭」は、自然光の中で、私たちに四季によって異なる表情を見せてくれます。

何必館・京都現代美術館
http://www.kahitsukan.or.jp/frame.html
ショールームのご案内
https://www.shokunin.com/jp/showroom/

参考資料
https://artsandculture.google.com/story/BQURABprjz3tIA?hl=ja
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%A4%A7%E8%B7%AF%E9%AD%AF%E5%B1%B1%E4%BA%BA
https://www.leon.jp/lifestyle/114999
https://www.leon.jp/lifestyle/115010