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【小豆将軍 高橋直治】

小樽ショールームが入居している協和浜ビルのお隣には、小樽芸術村のステンドグラス美術館があります。かつてイギリスの教会を彩っていた美しいステンドグラスが展示されているのは、「旧高橋倉庫」と呼ばれる建物です。この倉庫は、「小豆将軍」というなんとも北海道らしい異名を持つ実業家、高橋直治によって小豆の貯蔵のために建てられたものでした。

高橋直治は、1856年に現在の新潟県柏崎市に生まれました。18歳の時に小樽に渡り、家庭用の雑貨などを扱う荒物屋で働き始めました。その後独立してからは、雑貨商にとどまらず、味噌・醤油の醸造業や精米業などさまざまな事業に手を広げました。そして1897年には、実弟である喜蔵と共に高橋合名会社を設立します。この会社では、国外への輸出にも着手し、海運業界の国内最大手であった日本郵船と交渉して、それまでは船便の都合上かなわなかったロンドンの商社との直取引を成功に導きました。

そんな直治が大きく飛躍するきっかけとなったのが、小豆の輸出でした。第一次世界大戦が勃発すると、ヨーロッパにおける豆類の主産地であったルーマニアやハンガリーが戦場となり、輸出がストップしてしまいます。その需要を見越した直治は、道内産地から膨大な量の小豆を買い占め、小樽に設けた倉庫に貯蔵し、直輸出を行うことで富を築きました。ロンドン市場をも左右するほどの影響力を持った直治は、「小豆将軍」「小豆王」などと称されるようになったといいます。また、現在小豆のイメージはあまりない小樽ですが、当時は輸出小豆の選別を行う「豆撰産業」がとても盛んでした。豆撰作業は女工によって手作業で行われるもので、最盛期には運河周辺に20数軒の小豆工場が建ち並び、6000人以上の女工たちが働いていたとされています。工場へと足を運ぶたくさんの女工たちの姿からか、いつしか小豆工場は「豆撰女学校」などと呼ばれることもあったのだとか。

さて、小豆将軍直治の活躍は小豆だけにはとどまりません。町のさまざまな組織でトップを務めるなど、小樽の発展にも大きく貢献した直治は、北海道初の衆議院議員の一人にもなり、のちに貴族院多額納税者議員にも選ばれました。小樽に根付き、小樽と共に大きくなっていった直治。彼に所縁のある場所として、旧高橋倉庫のほかにもう一つ「旧寿原邸」という建物があります。この建物は、1912年に直治が自邸として建設したものとされていますが、彼の没後、直治と同じく北陸出身で、小樽を代表する実業家であった寿原外吉氏により自邸として改築されました。小樽湾を見下ろす高台の斜面に建つこの邸宅は、和洋折衷の近代和風建築で、趣ある庭園も魅力です。寿原氏の没後は小樽市へと寄贈され、小樽市指定歴史的建造物にもなっています。現在は、小樽民家再生プロジェクトというNPO法人によって管理運営がなされ、市民の交流の場として大切に活用されています。

寿原邸は以前から気になっていた場所だったのですが、今回偶然にも高橋直治という人物を通して再びたどり着き、これはぜひとも足を運ばねばという気持ちになりました。今シーズンは寿原邸の一般公開はすでに終了してしまいましたが、隣の水天宮と併せて周辺を散策するのも良いかと思います。小樽はもうすぐ紅葉のベストシーズンを迎えます。小豆将軍の足跡をたどりながら街を散策するのも面白いかもしれません。そんな折には、旧高橋倉庫隣の小樽ショールームにもぜひお立ち寄りくださいませ。

小樽ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/otaru.html

参考資料
https://otaru.jp/blog/4329
https://ja.wikipedia.org/wiki/高橋直治_(実業家)
https://otarucci.jp/shonin-no-kiseki/kiseki-10-2/
https://otaru.gr.jp/tourist/kyusuharatei2024
https://oniwa.garden/suharatei-otaru-hokkaido/
https://www.nitorihd.co.jp/otaru-art-base/stained-glass-museum/
https://shimamukwansei.hatenablog.com/entry/20100215/1266236457