






【資生堂 ~日本初の洋風調剤薬局~】
1872年、日本初の民間洋風調剤薬局として、東京は銀座に誕生した資生堂。創業者の福原有信氏は西洋薬学を学んだのち、それまでの日本にはなかったビジネスモデル、医薬分業のシステムを確立し普及させるため、官を辞して開業しました。資生堂という名は、中国古典『易経』より「至哉坤元 萬物資生(大地の徳はなんと素晴らしいものであろうか。すべてのものはここから生まれる)」という一節に由来し、人々の生活の中に新たな価値を生み出していこうとする決意が込められているそうです。
1916年になると薬局から化粧品部門が独立し、本格的な化粧品事業が始まります。当時は煉瓦造りの三階建だったビルにギャラリーを開設し、若手作家や前衛芸術家に発表の場を設けました。ここからモダンで洗練された資生堂化粧品が生まれていきます。1927年には、資生堂を取り扱うチェインストアが全国に広がり、製品や美容知識と共に、既成概念を破るような国内外の最新のライフスタイルや流行を社会へ発信していきます。その後、株式の上場や戦後のグローバルマーケットへの拡大を経て、1989年に企業理念を制定。「資生堂は何をもって世の中の役に立っていくのか」という会社が進むべき方向を定義し、美と健康を総合的に捉えたライフスタイル全体を美しく彩るビジネスを拡大しました。近年ではインターネットを利用した新しいビジネススタイルの確立に至ります。
現在、銀座には資生堂と名の付くビルが3棟あります。シンボルタワーとしてそびえ立つのは、銀座8丁目の東京銀座資生堂ビル。過去にはグッドデザイン賞と東京建築賞最優秀を受賞したこともある注目建築です。資生堂パーラー本店でもあるこのビルは、当時の煉瓦造りを彷彿させる赤いレンガ色が街を彩りをもたらしています。縦横の線が強調された外観や高い天井の室内空間は、設計者リカルド・ボフィルが得意とした古典的なデザインだそうです。なかでも特徴的なのは、サイズや形の違う窓が設置されていること。こちらにはパーラーをはじめレストラン、ショップ、バー、ギャラリーが、お隣7丁目には化粧品を取り扱うSHISEIDO THE STOREが並び、この2棟の間には「花椿通り」が通ります。花椿は資生堂のシンボルマークですね。銀座通りから並木通りへ移ると本社屋も設けられています。
日本初の洋風調剤薬局、その名は日本人なら誰もが知る資生堂。今では化粧品の国内シェア第1位、世界シェアでは第5位の、日本が誇る大企業です。
銀座通りを1丁目まで散策していただくと、三原通りに当店銀座ショールームがございます。歴史ある奥野ビルの一室で、皆さまのお立ち寄りをお待ちしております。
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html
参考記事
https://corp.shiseido.com/jp/company/history/
https://www.shimzarchives.jp/heritage/heritage_681/
https://www.t-c-t.co.jp/classroom/000124.html