【建築家・磯崎新】
磯崎新は北九州市と縁のある建築家で、北九州市内には彼の設計した公共施設が5箇所もあることをご存じでしょうか?そのどれもが特徴的で見応えのある建築物です。
2019年には建築界のノーベル賞といわれるプリツカー賞を受賞、2022年に91歳でその生涯を閉じました。プリツカー賞とは、建築業界において最も権威ある賞で、存命の建築家を対象とし、「建築を通じて人類や環境に一貫した意義深い貢献をしてきたか」という評価基準を基に、世界各国から毎年1人または1組の建築家に贈られます。1979年にアメリカで創設されてから、日本では丹下健三や安藤忠雄など有名建築家が受賞しており、磯崎新は日本人として8人目に受賞しています。今年2024年に山本理顕が日本人9人目として受賞し、日本が受賞最多の国となりました。
磯崎新の建築は、国内外100以上に上りますが、代表的なものとして、1966年に旧大分県立大分図書館(アートプラザ)、1979年にロサンゼルス現代美術館、1983年につくばセンタービル、1990年に水戸芸術館などがあります。ポストモダン建築の牽引者としてだけでなく、世界各地での建築展、美術展のキュレーションや、国際的なシンポジウムの議長を務めるなど、思想・美術・デザイン・文化論・批評など、多岐にわたる領域で国際的に活躍してきました。
磯崎新の設計した建築物は、北九州市内の約8km圏内で巡ることができるため、観光コースとしても紹介されるほどです。戸畑区の北九州市立美術館(1974年)は、見晴らしの良い丘の上に建ち、建物から直方体が付き出しています。二つの四角が巨大なロボットの目のようで、丘の上から街を眺めているような印象を受けます。初期の代表作といわれている北九州市立美術館は、「丘の上の双眼鏡」という愛称で親しまれています。小倉北区の北九州市立文学館・中央図書館(1974年)は、緑青の銅板屋根が色鮮やかで、チューブのようにうねうねと曲がっています。天空から見るとその不思議な形は一目瞭然です。どちらもアーチ型の天井が特徴的で、まるで飛行船や宇宙船の内部にいるかのように感じられます。同じく小倉北区の海沿いに建つ西日本総合展示場(1977年)は、帆船のマストを思わせる鉄柱があり、ワイヤーで外から建物の張りを吊るような構造です。壁面を見ると巨大な船か、または何隻もの船が並んでいるようにも見えます。北九州国際会議場(1990年)は、波打つような赤い屋根に、黄色い大きな箱を載せているようで、とてもユニークです。窓も壁もたくさんの正方形からできていて、おもちゃのブロックが積まれているようにも見えます。
北九州市内5箇所の建築と、大分県のアートプラザには訪れたことがありますが、外観の独自性はもちろん、内部から見たときの美しさや構造の不思議さ、建物に合わせた敷地づくりやアプローチも魅力です。磯崎新の残した建築はどれもが近代的で、異空間に足を踏み入れたかのようなワクワク感を感じられます。大分県大分市出身の彼でしたが、約50年前、北九州市の元市長が、大物建築家になると見込み、磯崎新に北九州市の公共建築を依頼しました。30代から40代前半という、建築家としては年齢的にも若い時代に、出身地である大分県のほか、福岡県内に数々の建築を残しているのも、九州出身の建築家を九州で育てようと応援されていたからいう話も残っています。
若松ショールームにお越しの際には、少し足を伸ばして、磯崎新の建築を巡ってみてはいかがでしょうか?それぞれの場所からは、芝生の美しい広大な公園や小倉城の天守閣を望めたり、小倉港からの海を見渡せたり、丘の上から市街を眺望できるなど、どの施設も北九州市の良い眺めと共に楽しめます。
若松ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/wakamatsu.html
参考資料
https://isozaki.co.jp/profile/
https://kmma.jp/exhibition/コレクション展Ⅲ-特集-磯崎新「還元」シリーズ/
https://www.gururich-kitaq.com/model-course/20
https://kenchiku-pers.com/photo/list/a0080-arata-isozaki/