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【木曾義仲と松尾芭蕉が眠る寺 ~義仲寺~】

先日、京都から山中越を滋賀に抜け、大津の街を通って東海道に差し掛かった時、ふらりと義仲寺(ぎちゅうじ)に立ち寄りました。街道に面した古刹で、時々前を通ってはいたのですが、拝観させていただくのは今回が初めて。暑い日差しの中にちらりと見えた境内の芭蕉の木がなんとも涼しげで、吸い寄せられるようにお寺の門をくぐったのでした。

義仲寺には、その名のとおりこの地で源義経に討たれた木曾義仲(1154-1184年)のお墓があります。が、お寺の伝承によれば、ここがお寺となったのは、義仲が葬られてからもっと後のこと。ある時どこからともなく美しい尼僧がやってきて、義仲の墓の側に庵を結んだそうです。その尼僧が朝夕熱心に供養を行うので、里人が不思議に思って尋ねますが、「私は名もなき女です」と答えるばかり。実はその女性こそ、義仲が討たれる直前まで側を離れず、共に戦った側室の巴御前であったというのです。はっきりしたことは分かりませんが、鎌倉後期の文書には「無名庵」「巴寺」などという名で義仲寺が登場するそうです。

巴御前は武勇に優れた美女として平家物語の中でも魅力を放っており、その人気は昔から能や歌舞伎の題材にもなっているほど。ところが巴御前についてはほとんど歴史的記録がなく、本当は存在しなかった人物だという説もあるようです。小さいころから巴御前が大好きだった私は、それを聞いた時大いにショックを受けたものですが、このお寺に巴御前の伝説が残っていると知り、懐かしい人に会ったような、少しほっとした気持ちで義仲塚とその隣の巴塚にお参りさせていただきました。

そして義仲寺にはもう一つ、特筆すべきことがあります。それは俳聖と謳われた松尾芭蕉(1644-1694年)のお墓があるということ。芭蕉がこの地にやってきたのは、義仲や巴御前の時代から数百年の時を経た江戸時代のことです。悲劇の武将、義仲に心を寄せていた芭蕉はこの寺を気に入り、近江を訪れると必ず義仲寺に逗留していたそうです。芭蕉は摂津(現・大阪)で亡くなりますが「骸は義仲塚に送るべし」との遺言により、弟子たちによってここに運ばれ、葬られました。ひと所に長く留まることなく旅に生きた芭蕉が選んだ最後の地が、ここ義仲寺だったのです。現在、義仲寺と琵琶湖は建物や太い道路に隔てられており、お寺から直接湖を望むことはできないのですが、お寺の方によると芭蕉が訪れていたころは琵琶湖が義仲寺のすぐ前まで迫っていたのだとか。お話を聞きながら、当時はどんな美しい光景が広がっていたのだろうと想像してみると、境内から琵琶湖を眺めやる芭蕉の姿が目に浮かぶような気がしました。

お寺の史料館には、芭蕉が愛用した椿の杖や、直筆の短冊などが展示され、境内のあちこちには芭蕉の句碑があります。境内の一番奥にある翁堂には、極彩色の鶏画で知られる伊藤若冲(1716-1800年)の天井画も。こちらは作品保護のため、常設されているのはレプリカとのことでしたが、義仲寺の見どころの多さに驚きました。

お庭の池には大切に飼われているイシガメがいて、人を見ると水からひょこっと顔を出し、寄ってきてくれます。亀さんたちにも遊んでもらって、少し名残惜しさを感じつつ、もう少し涼しくなったらまた訪れようと思いながらお寺を後にしました。

義仲寺
https://www.keihanhotels-resorts.co.jp/biwakohotel/sightseeing/gichuji/
ショールームのご案内
https://www.shokunin.com/jp/showroom/

参考資料
国定史跡義仲寺案内(拝観パンフレット)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B7%B4%E5%BE%A1%E5%89%8D
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E5%B0%BE%E8%8A%AD%E8%95%89