【うちわ、からの】
うちわ、使ってますか?うちわは古墳時代に中国から伝わったとされていますが、壁画に残る木製うちわは儀式のための道具でした。平安時代には身分の高い人物が顔を隠して権威を示したり、戦国時代には軍の家紋を示した軍配うちわとしても登場しています。時代が進むにつれ庶民の日常の生活道具として大量生産され“楽しむもの”としての意味も大きくなりました。現代では、経験されている方もいるかもしれませんが、日々の活力“推し”への意思表示、コミュニケーションツールとしても使われていますね。
そんなうちわが“ジャポニズム”として海外へ飛び出していったのは、1867年のパリ万博ではないでしょうか。実際にはそれ以前からオランダや中国へ持ち出されていたようですが、広く知られるようになったのは、徳川幕府が西洋の「万国博覧会」の概念を学び、1867年のパリ万博に江戸幕府、薩摩藩、佐賀藩がそれぞれ出展し、1873年に明治政府がウィーン万博に参加、そして再び1878年のパリ万博が開催されると、ジャポニズム=日本への憧れが花開いたようです。すでに1872年の明治政府の輸出統計には扇子が約80万本、うちわは100万本と記載があるのです。いったい何にどのように使っていたのか興味深いですね。アート界でもジャポニズムが大流行し、ルノアールのうちわと日本の菊のような花をバックに描いた「団扇を持つ少女」やマネの「団扇と婦人」が描かれています。モネの「ラ・ジャポネーズ」は打ち掛けを着た妻カミーユが扇子を持ち、バックにはたくさんのうちわが飾られているという構図です。モネの日本趣味は有名で数百枚の浮世絵版画も所有していました。彼らの目に映った日本は相当斬新なものだったのでしょうね。逆にこちら側から見ると日本では想像もつかないような、背景一面にうちわを装飾する構図がとても新鮮な気がします。
現在、東京レトロな奥野ビルにも、日本文化に興味のある外国からのお客様が足を運んできてくださいます。銀座ショールームでは、皆さん熱心に商品を眺めてくださったり、外国語サイトを見ながら感心してくださっています。何よりも日本の文化、道具、技術に興味を持っていただけていることをとても嬉しく思います。きっと万博に参加した幕府の御一行の皆さんも、現地の方々の輝く瞳に大興奮したことでしょう。もっと自分に語学力があれば!と日々反省し悪戦苦闘していますが、新たな発見や気付きを感じ、新鮮な気持ちにさせていただいています。日本のちょっとほっとする一面を覗きに、ぜひ奥野ビル、そして銀座ショールームへお越しください。
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html
ミキモト 銀座4丁目本店
https://maps.app.goo.gl/b6pMGfdaPWzX7aV2A
栗川商店 渋うちわ
https://www.shokunin.com/jp/kurikawa/
参考資料
https://www.iedashikou.com/monet-renoir/02-2/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/パリ万国博覧会_(1867年)
https://www.ibasen.co.jp/pages/2303_uchiwa_history
https://www.iedashikou.com/monet-renoir/02-3/index.html
https://artmuseum.jpn.org/mu_jyaponersu.html
https://www.iedashikou.com/monet-renoir/02-1/index.html