【内藤とうがらし】
私たちが口にしている野菜のほとんどは、近年になって栽培や流通が始まり、よりおいしく品種改良されたものです。もともと、突然変異を起こしやすい特性を持つ野菜は、外国から渡来し日本各地に伝わったあとも、その突然変異を活用してそれぞれの土地の気候や土壌での栽培に適した品種が作られました。そのうち、古くからその地方で栽培され、食文化と密接に関連した野菜を伝承野菜といいます。生産性の低さや生産者の高齢化などにより存続が危ぶまれているものも多いなか、伝統野菜には特有の味、形、色などがあり、最近はその魅力が見直され保存活動も広がっています。
京野菜も有名な伝統野菜の一つですね。古都であった京都には朝廷や多くの寺社があり、日本各地や中国大陸からさまざまな野菜が献上されました。そして、京都の土壌にあったものが栽培され、嗜好にあったものが京野菜として定着しました。賀茂なす、九条ねぎ、聖護院だいこんなど、精進料理や懐石料理の食材としても役立ちました。江戸においても参勤交代が行われ、急激な人口増加によって野菜が不足した際に、各藩の江戸屋敷では国元から持ち込んだ野菜品種を自給栽培するようになり、京野菜と同じように、江戸の土壌と嗜好に合った品種が江戸の伝統野菜となっていきました。
その中に、江戸時代の宿場町、内藤新宿で育てられた野菜の一つ「内藤とうがらし」があります。現在の新宿御苑一帯に下屋敷を構えていた大名の内藤家が栽培していた、爽やかな辛さと風味の良いとうがらしです。その当時、3700軒もの蕎麦屋があったとされる江戸界隈、大流行のぶっかけ蕎麦の薬味として、内藤とうがらしの一大ブームが起こりました。そして内藤新宿近郊の農家の生産者も増え、新宿は唐辛子の一大生産地として栄えていきます。収穫時期である秋には、新宿一帯が真っ赤な絨毯を敷いたように、赤く実った唐辛子畑の光景が見られるようになったそうです。その後、内藤新宿が宅地化されたり、「鷹の爪」の出現により、しだいに内藤とうがらしは姿を消していきました。現在では「内藤とうがらしプロジェクト」により固定種の栽培、生産が可能となり「江戸東京野菜」に認定、ブランド野菜として復活を遂げました。ちなみに、この内藤とうがらし、鷹の爪よりもマイルドで食べやすく、葉も大きく柔らかいので、葉とうがらしとして常備菜などに幅広く使えるそうです。
全国各地に存在する伝統野菜、いろいろな取り組みも広がり、きっとさまざまな人たちや技術も関わっているかと思います。見かけることがありましたら、野菜のお味と共に、その生い立ちやストーリーも味わってみてください。
小石原焼 トビカンナ 3寸皿
https://www.shokunin.com/jp/koishiwara/mame.html
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html
参考資料
https://naito-togarashi.tokyo/about/
https://foodedu.jp/和食プロジェクト/伝統料理-伝統野菜/日本-伝統野菜
https://tradveggie.or.jp/traditional-vegetables-history/
https://www.city.kyoto.lg.jp/sankan/page/0000029058.html