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【うだつの町並み】

「うだつが上がらない」とは、金銭的に恵まれなかったり、出世ができない、良い境遇に恵まれないという意味で使われる言葉です。「うだつ」は文章中でも平仮名表記がほとんどですし、日常生活では聞き慣れない「うだつ」がそもそも何なのか、あまり気にしたこともなかったのですが、今回の徳島旅行で「うだつ」の正体を知ることができました。

うだつの町並みがあるのは徳島県美馬市脇町。吉野川に面し、舟運の利用に適していたことから江戸時代から阿波藍の集散地として栄えた場所です。約430メートルにわたるメインの通りには、今でも江戸中期から昭和初期の85棟の町屋が残っており、文化庁の重要伝統的建造物群保存地区にも選定されています。町並みに一歩足を踏み入れると、当時の姿を残す町屋がずらりと建ち並び、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような迫力を味わうとともに、現在まで大切に町屋を守り、受け継いでこられた地元の方々の努力と取り組みに頭が下がる思いでした。町並みの名前のとおり、ここに並ぶ町屋にはうだつ(卯建)があるのが特徴です。うだつとは江戸時代の民家の2階の壁面に突き出して備えられた「卯」字形の漆喰塗りの袖壁のことです。本来は防火のために取り付けたものですが、設置するには多額の費用がかかることから、しだいに装飾の意味合いが強くなり、富や成功の象徴となったそうです。江戸時代には成功を収めた裕福な商家たちが競って立派なうだつを上げた家を建てたことから、転じて、「うだつが上がらない」=いつまで経っても出世ができない、成功しないという語源になったと考えられています。

この町の発展を支えた藍は、江戸時代の町人たちからは使い込むほど味わいが出てくる「粋」な色として好まれ、着物や風呂敷、暖簾といった生活のさまざまな場面で使われました。農村部においても、汚れが目立ちにくく防虫効果のある藍染の木綿の着物は重宝されます。葛飾北斎や歌川広重といった江戸を代表する浮世絵師の作品にも流行した藍色が取り入れられ、「青屋」や「紺屋」と呼ばれた染め物屋が題材として登場しています。幕末から明治時代初期にかけて、お雇い外国人として来日し、染料の研究も行ったイギリス人化学者のロバート・ウィリアム・アトキンソンは、日本のあちこちで見られる藍色を「ジャパンブルー」と名付けました。日本人の美意識や生活様式と密接にかかわってきた藍色を表した彼のネーミングセンスの良さに感心すると同時に、もし現代の日本を彼が訪れたら、どう表現するのだろうと気になります。うだつの町並みの真っ白な漆喰塗の壁は、青い藍を更に青く引き立て、ロバートが見たであろう日本の景色を現代に伝える大変すばらしいものでした。ぜひとも多くの方に訪れていただきたい場所です。

当店ではジャパンブルーを日々の生活に取り入れることのできる商品を取り扱いしております。ぜひご覧くださいませ。

丸川商店 日事記
https://www.shokunin.com/jp/marukawa/hijiki.html
丸川商店 しじみ
https://www.shokunin.com/jp/marukawa/shijimi.html
丸川商店 あづま袋
https://www.shokunin.com/jp/marukawa/azuma.html

参考資料
https://www.city.mima.lg.jp/kanko/map/list/11506.html
https://www.yomiuri.co.jp/column/japanesehistory/20210614-OYT8T50079/
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%88%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%B3
https://www.ndl.go.jp/landmarks/details/detail023.html(歌川広重 『名所江戸百景 神田紺屋町』)