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【山田寅次郎展】

皆さんはトルコへ行かれたことはありますか?私はまだありません。よく聞くエピソードに、トルコの街へ行くとお店のご主人に手招きされ、お茶を頂きながら数時間過ごし、たわいもないおしゃべりの繰り返しで一日が終わってしまったということも珍しくないそうです。

もともとトルコの方は「親日的」という話はよく耳にしますが、どの国の観光客にも同じく親切なのでしょうか?もしや日本人だから?と思わせるような展覧会に先日出会うことができました。現在、青山にあるワタリウム美術館では、「山田寅次郎展」が開催されています。2023年はトルコ共和国建国100周年の年です。日本とトルコの架け橋となった「山田寅次郎」という人物を介し、日本とトルコという異なる歴史を持つ2つの国が交流する様子を伝えてくれる企画になっています。

好奇心旺盛な青年寅次郎氏は、幕末の江戸に生まれ、茶道家のもとへ養子に入ります。茶道を続けながらも多方面に興味を持ち、薬学、潜水、出版、政治とチャレンジしていきます。特に出版では幸田露伴のデビュー作に携わったり、日本初のタウンページ『東京百事便』を発行し、大ヒットさせたそうです。そんな寅次郎と遠く離れたトルコとの出会いになったのが、明治25年(1890年)に、紀伊半島沖で台風に遭遇し、500名以上もの犠牲者が出てしまったオスマン帝国軍艦エルトゥールル号の遭難事件でした。この事故に心を痛めた寅次郎は、新聞社などに働きかけ、その協力のもと演説会を催し、1年後にはなんと五千円、今でいう三千万円もの義援金を集めたそうです。そして恐れを知らない寅次郎は外務省を訪問し、送金方法の相談を持ちかけると、当時の外相・青木周蔵氏は「君自身がトルコへ赴いてはどうか」と、渡航の便宜を図ってくれたという展開になります。明治政府の太っ腹で遊び心のある提案と、チャンスとタイミングを逃さなかった寅次郎の熱いエネルギー、今の私たちに最も必要なものなのかもしれません。

トルコへ渡った寅次郎は、その後何度か行き来しながら13年間もの間トルコに留まり、スルタン(皇帝)のアートディレクターとして、日本の美術工芸品を紹介したり、宮廷や高官達の御用達となる中村商店を開きます。日本から来る旅行者や要人だけでなく、ヨーロッパ諸国に住む日本人も寅次郎の元へ相談をしに訪れるという、まさに日本とオスマン帝国をつなぐ民間大使ですね。日本に帰国後も、世界で有名なトルコ煙草の製造を始めたいと、シガレットペーパーの開発に挑み大成功を収めます。そんな興味の赴くままに過ごしてきた寅次郎も57歳にしてやっと茶道家元となり、流儀の組織作りと発展のために尽力したそうです。トレードマークとなるお髭から「お髭のお家元」と呼ばれ、現在も京都南禅寺の茶室の一角にある髭塚に寅次郎の髭は納められ、門人は手を合わせてからお稽古を始めるそうです。

こちらの展覧会、会場の扉が開くと、寅次郎自身や絵師が写真から描き起こしたさまざまな挿絵をデジタルアニメーションで表現した、愛らしく不思議な世界が迎えてくれます。当時の寅次郎が初めて見たオスマン帝国の街並みも、このように楽しくワクワクするような世界だったのでしょう。寅次郎の大好きなものを愛おしみ楽しむ心、そして相手の文化を知り、深く尊敬し、認め合うことの大切さを感じるきっかけになる展示でした。会場では毎日3時からキュレーターの和多利さんとお話ししながらチャイを飲む「お茶の時間です」も開催されています。銀座からも銀座線で10分の外苑前で開催されていますので、ぜひお出かけしてみてください。

「山田寅次郎展 茶人、トルコと日本をつなぐ」 (実行委員長:隈研吾)
http://www.watarium.co.jp/jp/exhibition/202308/
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html

参考資料
http://www.ifsa.jp/index.php?Gyamadatorajirou
https://bijutsutecho.com/magazine/news/report/27649