【同潤会アパート】
同潤会アパートは、関東大震災後に復興住宅として建てられた、日本最初期の近代的な鉄筋コンクリート造の耐火アパートです。建設したのは財団法人同潤会で、復興支援のため内務省により1924年に設立されました。同潤会という名前は、中国古典の一節「淋同江海之潤」に由来し、「広く庶民を潤す」という意味とのこと。解散する1933年までの間に、東京・横浜の16カ所に集合住宅を造り、そこにはガスや水道、水洗式トイレなどを備え、それぞれの地域に沿った先進的な賃貸住宅として、新しい生活様式を提案しました。
たとえば、オフィス街に建てられた虎ノ門アパートメントは、オフィスとアパートの複合建築として建てられ、下層部を同潤会の事務所、上層部を独身男性専用のアパートとしました。食堂や浴室を備え、重厚なエントランス扉や螺旋階段などはビジネスマンにぴったりの空間でした。表参道には、都会の勤め人向けのハイカラなアパートである青山アパートメントが建てられます。神聖な参道に面するため、洗濯物が見えない造りにし、共同風呂が各階に設けられました。趣のある外観は都市景観の形成に貢献し、のちにブティックやギャラリーとして使用され、跡地は表参道ヒルズになりました。また、大塚女子アパートメントは、当時増え始めた職業婦人のための最先端のアパートとして注目を集めました。エレベーター、食堂、共同浴場、談話室、洗濯室、サンルームなどが完備され、タイピスト、教師、医者など自立したモダンガールたちに人気のアパートとなりました。これらを含む全16のアパートメントは現在すべて取り壊されていますが、同潤会に携わった建築家たちは、その後数多くの建築の設計に取り組みます。
元理事の内田祥三は、弟子の岸田日出刀と共に、関東大震災で被災した東京帝国大学のキャンパス復興を行い、東京大学大講堂(通称安田講堂)などの設計をしました。ゴシックを基調とした力強いデザインは今も東大のシンボルとして人々に親しまれています。虎ノ門アパートなどを手がけた元建設部長の川元良一は九段会館、奥野ビルの設計にかかわります。九段会館は、当時「軍人会館」といい、軍人たちの宿泊施設やホールとして使用されており、九段会館に名前を変えてからはコンサートホールや結婚式場として活用されました。城郭風の屋根など日本的な表現を基調としながら、要所にアールデコの手法が見られる、九段下の景観における象徴的な存在です。また、奥野ビルはかつて「銀座アパートメント」という名称の高級アパートでした。同潤会アパートと同じく、鉄筋コンクリート造で、共同浴場や談話室、エレベーターなどが設置され、各部屋には電話線も引かれるなど、こちらも最先端のアパートとして数多くの著名人が入居しました。現在も外観、エレベーター、階段室、通路などをそのまま残しながらも、アトリエやギャラリーが多く入居しており、当店も奥野ビルの一室に銀座ショールームを構えています。
震災後の混乱の中、復興と新たなまちづくりを実現させるために、同潤会をはじめ多くの建築家が尽力しました。そこには今までの日本の住宅様式に、西洋的な様式を融合させ、急速に変化していく時代に合わせた生活の在り方を試みてきたことがうかがえます。それらの建物が生んだライフスタイルや建築様式は、これからも私たちの暮らしに影響を与え続けていくことでしょう。
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html
参考資料
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/146645
https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/457999
https://www.a-quad.jp/exhibition/070/p11.html
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/同潤会アパート
http://www.anno-spero.org/memes/writings/dojunkai/main08-2.htm