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【博多織の帯】

親から子へ、子から孫へと、着物は三代受け継ぐと耳にすることがあります。私自身も母や祖母たちのおかげで、着物や帯を受け継いでいるのですが、なかでも博多織の帯は、歳を重ねるほどに身に付けたいと思うようになりました。

献上博多織は、福岡県福岡市を中心とする地域に伝わる帯地用など絹織物の製作技術です。浴衣にも着物にも合わせやすく、普段着としての和装の際に気軽に結ぶことができます。生地、柄、小物などで季節感を楽しむのが着物の醍醐味ですが、通年身に付けることができるのが博多織の平織り帯。一年中幅広い着物に使えることは実は珍しいのです。力士の浴衣や着物姿などに博多織の帯をよく見かけます。ハリがあり軽くしなやか、キュッと体に吸い付くようで、緩みにくく気持ち良さを感じる締め心地です。

江戸時代、筑前藩の初代藩主となった黒田長政が献上する博多織を総称して「定格献上」と名付けました。当時から博多織には多様な柄がありましたが、現在の献上柄と呼ばれるこの定格献上が毎年幕府へ送られることになりました。一度締めたら崩れにくく、腰に刀を差す際に重宝すると武士の間で流行し、全国的に知られるきっかけとなりました。

私たちが一目で分かる博多織の文様は「献上柄」ではないでしょうか。博多織の中でも伝統的で、一貫した柄の特徴が魅力の献上柄は、同じ絵柄の連続性から成り、仏具の独鈷(とっこ)と、華皿(はなざら)と独特の縞文様を、経糸の浮紋によって織り出したもので、献上博多と呼ばれます。縞は、親子縞と孝行縞と名付けられ、親子縞には「親が子を守る」という意味、孝行縞には「子が親を慕う」という意味があるそうです。1976年、国の伝統的工芸品に指定されました。

江戸時代中期以降、帯地の生産が中心となったことから、博多織といえば「帯」が定着したようです。江戸の後期になると、藩の経済発展のために規制が緩められ庶民へも広まりました。しかし、江戸幕府の終わりとともに帯の注文が減り、近代化を迎えることになります。大きな時代の変化により、和装需要は大幅に減りましたが、機械技術の発展で多様な商品が作られ、正絹以外でも織られるなど日常的なものになっていきました。

学生のころから浴衣には博多織の帯が定番で、お祭りなどで博多織の帯に目が行くのは福岡で生まれ育ちなじみ深いものになっているからかもしれません。現在では帯だけでなく、より身近なものを通して博多織に触れられる機会も多くあります。福岡市内には博多織の技術や商品を見学できるギャラリーもあります。一度目にしたら忘れない模様なので、和装をされる方のご自宅や街なか、お祭りなどで博多織献上柄を見つけてみてはいかがでしょうか?

若松ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/wakamatsu.html

参考資料
https://www.kyushu.meti.go.jp/seisaku/dento/index.html
https://hakataori-gallery.jp
https://hakataori.or.jp/about/kenjyou
https://sanui-orimono.co.jp/about/
https://chikuzen.co.jp/博多献上/
https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/303/59