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【三条通の今と昔】

三条ショールームの位置する三条通は、平安京造営とともに作られた通りで、かつては三条大路と呼ばれていました。この大路沿いには、貴族の邸宅や役人の宿所などが並び、平安時代後期には商工業座が集中するなど、当時から人々の往来が盛んであったことがうかがえます。

また古代より東海道の国々へと向かう交通の要所であり、鎌倉時代に入ると、武家政権のある鎌倉と、朝廷のある京都を結ぶ街道として、更に重要視されました。鴨川に架かる橋も簡素なものでしたが、豊臣秀吉によって石柱の三条大橋が建設されました。「大路」から「通」へと呼び名が変わったのもこの頃です。徳川家康によって東海道が整備されたことによって、三条大橋は東海道の終点となり、商店や旅館などでにぎわう京都のメインストリートとなっていきました。

明治時代には、道路の起点を示す「道路元標」が三条大橋に設けられ、京都の近代化の中心地として銀行や新聞社、郵便局などの近代建築が建ち並びました。京都文化博物館別館や、中京郵便局など、三条通を歩くと今なお多くの近代建築を見ることができます。三条ショールームのあるSACRAビルもその一つで、旧不動貯金銀行京都支店として大正5年ごろに建てられた煉瓦造りの建物です。

その後、明治末年から大正初年にかけて京都市三大事業が計画され、第二琵琶湖疏水開削、上水道整備と共に、道路の拡幅および路面電車の開通が行われました。煉瓦やコンクリートを用いた建物が集まっていた三条通は、それらの工事が困難だったことから、当時は狭い道幅だった四条通が拡幅され、路面電車が敷かれました。そして次第にメインストリートが四条通へと移っていったのです。

現在の三条通は、近代建築が再利用され、文明開化の面影を残しながらも、昔ながらの町屋も並ぶ特徴的な景観を持つ通りになっています。お越しの際は、ぜひ周辺の散策も併せてお楽しみください。

三条ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/sanjo.html

参考資料
http://www.sanjyo-kyo.jp/sanjyostr
http://www.mutsunohana.net/miyako/oji-koji/#etc2-19
http://jia-kyoto.org/children/sanjyohistry.html