1

3

2

3

【ハリウッド映画】

1890年代、フランスのリュミエール兄弟によって「シネマトグラフ」という撮影・現像・映写を行う映写機が開発されました。それ以前にもエジソンによって木箱を覗いて映像を観る仕組みの「キネトスコープ」と呼ばれる映写機が開発されていましたが、キネトスコープを改良したシネマトグラフは映像をスクリーンに投影して鑑賞することから、シネマトグラフが映画の起源とされています。

その後、映画は新たな娯楽として人気が生まれ、たくさんの人が映画事業に参入しますが、当時のアメリカは、エジソンが設立した「モーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー」という企業が、製作や配給の権利を独占し、高額な使用料を払わなくてはならない状況でした。

そこで映画製作を行う人々は、ビジネスの中心地であった東海岸を離れ、西海岸のカリフォルニア州へと逃れます。ハリウッドが選ばれたのは、年間350日以上が晴天の乾燥地帯で、特許使用料の未払いを摘発する追っ手が来ればメキシコへ逃げることができる適地だったからです。なお、前述のモーション・ピクチャー・パテンツ・カンパニー(MPPC、通称エジソン・トラスト)は、独占禁止法違反として連邦政府より訴えられ、1918年に解散。そうして映画の聖地・ハリウッドが形成されました。

また、映画産業に加わった多くは、東欧から移動してきたユダヤ系の移民でした。民族差別の激しい当時、ほかの仕事では迫害を受けており、新しい産業に機会を見出したのです。ワーナー・ブラザーズやユニバーサル、20世紀フォックス、パラマウント、コロンビア、MGMスタジオなどの映画会社は、すべてユダヤ系移民によって創設されたものです。

初期の映画は白黒映像で、音声もありませんでしたが、すぐに進化を遂げ、カラー映像や音声が追加されました。1920年代には、ハリウッドが映画産業の中心地として確立し、第1回アカデミー賞も行われました。

1930年~1950年代ごろには黄金期を迎え、『風と共に去りぬ』、『市民ケーン』、『オズの魔法使』などのヒット作を数多く生み出します。テレビの普及や若者文化の台頭などによって映画も変化し、『巴里のアメリカ人』や『雨に唄えば』など、ミュージカルを中心とした、大かがりなセットと豪華なキャスティングの娯楽大作が作られるようになります。時代と共に進化を続け、21世紀に入るとCG技術の発達などによって映画制作の可能性が大きく広がりました。

そして現代では、自宅にいながらにして気軽に映画を観ることができます。さまざまな場所や方法で鑑賞できるようになり、更に多くの人が映画を楽しむ時代。これからも映画は我々に、外の世界への関心をもたらし、多大なる文化的影響を与え、愛され続けていくことでしょう。

参考資料
https://ja.wikipedia.org/wiki/アメリカ合衆国の映画
https://eiga.com/extra/shitahari/20/
https://finders.me/articles.php?id=316
http://zip2000.server-shared.com/holliwood.htm
http://www.tsukio.com/tbs568.html