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【京都とビール】

ビールの起源は、紀元前数千年にまで遡るといわれ、古くから人々に親しまれてきました。そんなビールが日本に伝わったのは、江戸時代にイギリスやアメリカの船が来航してからのことです。

明治時代になると、文明開化に賑わう日本ではビールの需要も増え、各地で国内生産が始まりました。京都においても「舎密局」という府立の理化学研究所がビール作りを試みました。ちなみに舎密(せいみ)とは化学の旧称で、オランダ語で化学を意味するchemieに漢字をあてたものです。化学という言葉は、日本で初めてビールを醸造した川本幸民が自著で用いたことから広まった歴史を持ちます。

舎密局は、指導者にドイツ人のワグネルを迎え、京都舎密局麦酒醸造所を設立します。その場所はなんと清水寺の中。境内にある音羽の滝の水が醸造に適しているということで選ばれました。しかし資金難によりその後4年足らずで舎密局は廃止され、麦酒醸造所も閉鎖に終わります。ここで技術を学んだ民間人たちによって「扇ビール」「盛ビール」「井筒ビール」などさまざまなビールが誕生するものの、アサヒビールの前身である大阪麦酒の台頭によりいずれも廃業に至ります。

その一方で、現在の西京区にあたる川岡村では、関西で初めてビール醸造用の大麦であるゴールデンメロンが栽培されました。村の農家たちは「川岡村ゴールデンメロン大麦作人組合」を結成し、大阪麦酒と契約を結ぶことになります。企業と農家が直接契約を結ぶのは日本でも初めてのことでした。

現在では全国的にクラフトビール作りが盛んになり、京都でも数多くのクラフトビールが作られています。毎週土日のみになりますが、職人.com本社から徒歩7分のウッドミルブルワリーでは、1杯税込400円でその場所で作られた新鮮なクラフトビールを味わうことができます。明治時代から今日に至るまで、京都でのビール作りはさまざまな形で脈々と受け継がれています。

ウッドミルブルワリー(タップルーム欄をご覧ください)
https://woodmill-brewery.kyoto/
能作 ビアカップ
https://www.shokunin.com/jp/nousaku/glass.html
一陽窯 ビアカップ
https://www.shokunin.com/jp/ichiyou/beer.html
Sghr スガハラ 素
https://www.shokunin.com/jp/sugahara/su.html

参考資料
https://museum.kirinholdings.com/history/kaisetsu/bk_01.html
https://www.okeihan.net/navi/kyoto_tsu/tsu201908.php
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000072730