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【日本橋木屋】

「日本橋」という地名については、東京では「にほんばし」、大阪にある「日本橋」は「にっぽんばし」と発音されます。

東京の日本橋は皇居の東側にあり、江戸前時代の主要な地点を結ぶ道路「五街道」の起点となりました。日本橋を五街道の起点として定めたのは、徳川幕府2代将軍である徳川秀忠で、江戸を防衛することを目的に、東海道・日光街道・奥州街道・中山道・甲州街道を幕府直轄の道路として整備。五街道は大名の参勤交代を始め、商人や旅人が行き交う重要な街道であり、日本橋は江戸時代において、現在の東京駅のような交通の要所となりました。陸運・水路の交通と物流の要であった日本橋は、江戸の交易と経済を牽引する商業地帯として発展を遂げました。

江戸時代、商業の中心として隆盛を誇ったのは江戸・京都・大阪の三都市で、商業界では伊勢商人・大阪商人・近江商人が特に活躍していました。中でも伊勢は、神宮の所在地であることから早くから陸路での交通が開け、その後、伊勢湾の海上交通の発達が桑名や大湊などの港町の繁栄に繋がったといわれています。

日本橋木屋の創業者となった加藤伊助は、東海道五十三次において、日本橋から数えて42番目の宿場町である伊勢の桑名に生まれました。1792年(寛政4年)4月に、本家木屋の暖簾分けとして独立した店舗を構えることを許され、本家とは異なる商品を扱うというしきたりに従い、出身地桑名の名産である打刃物を扱いました。これが現在日本橋にある刃物の木屋の始まりです。暖簾分けした木屋各店の多くは戦後まで続くことはなく、昭和30年頃に木屋本店が暖簾を下ろすと、木屋の名を残すのは伊助店のみとなりました。

日本橋木屋は創業から200年以上にわたり、現在も包丁や刃物を中心に生活に根ざした道具を作り続けています。

“本家木屋の創業者は初代林九兵衛である。林家は藤原姓を名乗る家柄で、天正元年(1573年)大坂に薬種商を開き、豊臣秀吉の御用を務めたが、大坂夏の陣後弟九兵衛が徳川家康の招聘により江戸に下り、林家が二都に分かれたため、「林」の字を分解して「木屋」と号した。”(Wikipediaより転載)

木屋 飯台
https://www.shokunin.com/jp/kiya/handai.html
木屋 やっとこ鍋
https://www.shokunin.com/jp/kiya/yattoko.html
木屋 毛抜き
https://www.shokunin.com/jp/kiya/kenuki.html

参考資料
https://smtrc.jp/town-archives/city/nihombashi/index.html
https://www.kiya-hamono.co.jp/index.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%A8%E5%B1%8B
https://kotobank.jp/word/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%95%86%E4%BA%BA-30958
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/02/Hiroshige%2C_Sugura_street.jpg