2026年07月

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【ガラスの街・小樽】

JR小樽駅の天井を見上げると、窓の前にずらりと並ぶガラス製のランプ。ノスタルジックな印象を受けるガラスのランプは、その昔、小樽の夜を照らしていた灯りでした。いまや小樽のお土産の定番となったガラスですが、小樽が「ガラスの街」とも呼ばれるようになった背景には、19世紀後半以降の歴史が深く関わっています。

小樽のガラス産業が産声を上げたのは、街が大きな成長を見せ始めた19世紀後半です。経済の発展に伴って本州から一攫千金を狙う人々が急増し、街が爆発的に巨大化しました。当時はまだ電気が普及していなかったため、夜を照らす生活必需品として「石油ランプ」が大量に製造されます。この石油ランプこそが、当時の人々の暮らしや街を温かく照らす灯りであり、現代へと続く小樽のガラス工芸技術の原点となりました。

石油ランプの製造と並んで、小樽のガラス産業を支えたもう一つの柱が、ニシン漁で使用された「ガラス製の浮き玉(ブイ)」です。明治から大正にかけての小樽はニシン漁の最盛期を迎えており、漁網の目印として当時は木で製造されていた浮き玉を、安価で、軽く、加工しやすく、さらに海の色に溶け込むような透明感のあるガラスで製造することに成功。このガラスの浮き玉は吹きガラスの技法によって盛んに生産されるようになり、のちのガラス工芸へとつながる職人たちの技を磨き上げていきました。浮き玉は昭和22年には1056トンの製造量があったといわれていますが、実際はそれ以上だったとも考えられています。

しかしその後、電気の全国的な普及とニシン漁の衰退などで、石油ランプと浮き玉の需要は減少していきます。そうした時代の変化の中で、それまで実用性重視だったガラス製品を見直す動きが起こりました。実用的な道具から、日々の暮らしにぬくもりや安らぎを添えるデザイン性の高いものへ。作り方や使い方を少しずつ変えていくことで生活に溶け込み、市民や観光客の間でも広く親しまれるようになっていきました。かつて波間に浮かんでいた浮き玉も、その独特の風合いを生かしインテリアとしてお店のフロアに飾られたり、店先に吊るされたりして、新たなオブジェとして生まれ変わりました。時代の荒波を乗り越え、人々に愛される工芸品へと姿を変えたことで、いつしか「小樽といえばガラス」というイメージが定着。ガラス製品は、この街の文化として深く根付いていくこととなり、今では歴史を牽引してきた大きな老舗だけではなく、個人のガラス工房やスタジオも設立され、それぞれの職人が独自の感性で制作を行っています。

では、かつての石油ランプの光はどんな色をしていたのでしょう。その灯りを体感できる場所が街に残されています。明治時代に建てられた木骨石張(もっこついしばり)の倉庫を利用した「北一硝子三号館」の喫茶ホールは、石油ランプだけが灯る幻想的な空間。かつて小樽の夜を支えた灯りの温もりを今に伝えています。また、小樽ショールームから徒歩15分の距離にある深川硝子工芸では、伝統的な「吹きガラス」の技術や工程を作業場の上から自由に見学できる工場見学コースがあります。コースの3階廊下にはガラスの製造過程について詳しく図解されていて、窓から1階の作業場を覗き込むと距離があるにもかかわらず、現場の熱気がこちらまで伝わってくるようです。

街を照らすランプと、海を舞台にした漁業用の浮き玉から始まった小樽のガラス。かつての灯りを体感し、職人たちの息吹を感じる工場を巡る。そんな小樽のガラスの歴史を辿る旅の締めくくりに、ぜひ小樽ショールームへもお立ち寄りいただき、日本の手仕事の美しさをお手に取ってご覧になってみてください。

小樽ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/otaru.html
北一硝子
https://kitaichiglass.co.jp/
深川硝子工芸
https://fukagawaglass.co.jp/about/
キムグラスデザイン
https://www.kimglassdesign.jp/
ストアハウス大坂屋
https://maps.app.goo.gl/a5zGsieJZemeiGxt6

参考資料
https://hokkaidofan.com/glass/
https://www.ana.co.jp/travelandlife/article/002105/
https://growing-art.mainichi.co.jp/retronobi_20211107/
https://otaru.gr.jp/guidemap/glass-otaru
https://asaharaglass.com/glassukidama/

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【アルネ・ヤコブセン】

デンマークを代表するデザイナーであり建築家である、アルネ・ヤコブセン。「セブンチェア」や「エッグチェア」など、北欧デザインといえばの名作を数多く生み出しました。

アルネ・ヤコブセンはユダヤ系デンマーク人の家庭に生まれ、1924年に王立芸術アカデミー建築学科に入学し、カイ・フィスカー教授に学びます。在学中に開催されたパリ万博に木製アームチェアを出品し、シルバーメダルを受賞。1929年には、旧友のフレミング・ラッセンと設計した「未来の家」が設計コンペで勝利し注目を集め、ベルビュービーチの総合リゾート開発や「オーフス市庁舎」の設計など、大規模なプロジェクトを手がけるようになります。第二次世界大戦中に妻と、友人のポール・ヘニングセン夫妻と共にスウェーデンに亡命したのちにコペンハーゲンに戻り、1952年に「アントチェア」を発表。1960年にはアルネ・ヤコブセンの最高傑作ともいわれる「SASロイヤルホテル」が完成し、1971年に着工した「デンマーク国立銀行」が遺作となりました。

アルネ・ヤコブセンのデザインの最大の特長は、建築から家具、照明、小物に至るまでを一貫して手がけるトータルデザインにあります。アルネ・ヤコブセンは、時にはクライアントと対立してでも、美しさと使い心地の両面を、細部にまで徹底的にこだわり抜いてプロダクトを作り上げる完璧主義者でした。また、もともと植物学者になりたかったという背景があり、自然の有機的な形状を作品に取り入れることに強い関心を持ち続けていました。ドロップチェアのフォルムやリリーチェアのデザインは自然界の形状や動きを模倣しており、彼のデザインには自然界からのインスピレーションが反映されています。

さまざまなプロダクトや建物をデザインしたアルネ・ヤコブセンですが、コペンハーゲンの中心部にあるSASロイヤルホテル(現・ラディソン コレクション ロイヤル ホテル)の606号室には、現在も名作の数々が保存されています。SASロイヤルホテルはスカンジナビア航空(SAS)のフラッグシップホテルとして1960年にオープンし、アルネ・ヤコブセンが家具や建築、カトラリーまで総合的にデザインを手がけました。606号室は、全客室の中で唯一改装されずに当時のまま残されているスイートルームで、部屋の中にはこのホテルのために作られた「エッグチェア」、「スワンチェア」、「ドロップチェア」などが並んでいます。

時代を超えて、北欧に限らず世界中で息づくアルネ・ヤコブセンのデザイン。運とタイミングがよければ、ここまで奇跡的に残されているSASロイヤルホテルの606号室の見学ができるため、コペンハーゲンに行かれる方はぜひ調べて足を運んでみてください。

Radisson Collection Royal Hotel, Copenhagen
https://maps.app.goo.gl/k7FdDqCWh1evyfDR7

参考資料
https://hld-os.com/html/page46.html
https://www.connect-d.com/c/10/165
https://artbook-eureka.com/?pid=182796698



暑い毎日がやってきていますが、上野ビルの中は、大きな日陰のように涼やかです。

ショールーム内も、冷たいお飲み物を楽しめるグラス類や、おうち時間が豊かになる調理器具や生活に寄り添う品がたくさん。

自分や家族の毎日のために、ぜひお気軽にショールームへ遊びにいらしてください。

若松ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/wakamatsu.html