2026年01月

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【旧寿原邸を訪ねて】

小樽の高台、水天宮のすぐ隣に「旧寿原邸」があります。昨年、たまたま水天宮へお参りに行ったところ、以前から気になっていた旧寿原邸がすぐ近くにあることを知り、ちょうど一般開放期間でもあったため、立ち寄ってみました。

旧寿原邸は1912年(大正元年)の小豆将軍として知られた高橋直治によって建てられ、その後1934年(昭和9年)に小樽の実業家・寿原外吉氏の邸宅として改築された歴史ある建物です。現在は小樽市に寄贈され、市指定歴史的建造物として保存されています。一般公開の日に訪れると、坂の上に凛とたたずむ邸宅が目に入り、思わず歩みがゆっくりになります。

邸宅は水天宮の北側の急な斜面に沿って建てられており、主屋から上手(かみて)へと二つの接客棟が階段状につながる、独特の構造をしています。斜面の高低差を巧みに生かした三段構成の庭が設けられているのも特徴で、和・洋・石蔵が並ぶ全九室の建物と合わせて、変化に富んだ表情を見せる数奇屋風の邸宅です。

玄関をくぐった瞬間、木の香りとともに静かな時間が流れ始め、まるで大正〜昭和初期の暮らしに迷い込んだような感覚に包まれました。邸宅内を巡ってまず惹きつけられたのは、中段の洋間。ここには、現在ではなかなか見られない貴重なピアノが静かに置かれており、空間そのものが当時の雰囲気を今に伝えています。柔らかな光と木のぬくもりの中でピアノの存在が際立ち、時間が止まったような気分になる場所でした。

続いて印象的だったのが台所。古い造りではあるものの、動線や配置の工夫がとても合理的で、現代のキッチンデザインにも通じるものがあります。昔の生活の知恵ってすごいなと思いました。センスと機能美が感じられます。

そして、狭くて急な階段を上がった先に屋根裏部屋のような部屋があります。一歩足を踏み入れた瞬間、もわっと押し寄せる熱気にびっくりしました。昔の家ならではの暑さがダイレクトに伝わり、これもまた旧寿原邸のリアルな魅力のひとつだと感じました。ちなみにこの邸宅は、1995年(平成7年)公開の映画『Love Letter』でも使われていますので、映画を見たあとに訪れるとさらに楽しめるのではないでしょうか。

現在、この邸宅の管理や一般公開を担っているのが「NPO法人 小樽古民家再生プロジェクト」。小樽市から委託を受け、庭の整備から建物の維持管理、イベント運営まで幅広く活動されています。NPO法人の方々の温かい案内、手作り感あるおもてなしが、訪れる人の心をほぐしてくれます。私が伺った日は、ほかに外国の方も見学されていました。

旧寿原邸は、豪奢な観光スポットとは違い、さまざまな人の手で守られ続ける生きた歴史を体験できる場所です。和洋が織り交ざる空間、昔の生活の気配がそのまま残る台所、汗が噴き出す屋根裏部屋の暑さ、そして温かく迎えてくれる人々。ここに足を運ぶことで、小樽という街の奥深い魅力にもう一歩近づけるような気がしました。小樽を訪れる際には、ぜひ一度立ち寄ってみていただきたい場所です。

小樽市指定歴史的建造物第27号 旧寿原邸
https://www.city.otaru.lg.jp/docs/2020101500559/
小樽ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/otaru.html

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【ウィリアム・モリス】

19世紀イギリスのテキスタイルデザイナー、ウィリアム・モリス。彼が説いた「芸術と生活を統一化する」というアーツ・アンド・クラフツの精神は、時代を超えて受け継がれています。

「モダン・デザインの父」と称され、詩人・作家・思想家・活動家でもあったモリスは、1834年にロンドン郊外のウォルサムストウで生まれ、父はファイナンス業を営む実業家で中産階級の家庭に育ちました。父の没後、1848年にウッドフォード・ホールから再びウォルサムストウに戻り、「ウォーター・ハウス」(現ウィリアム・モリスギャラリー)で暮らしました。

1853年、モリスはオックスフォード大学エクセター・カレッジに入学。そこで生涯の友人で協力者となるエドワード・バーン=ジョーンズに出会います。1855年、中世美術の勉強のため2人はフランスを訪れ、モリスは建築家に、バーン=ジョーンズは画家になることを決心。翌年、モリスはジョージ・エドマンド・ストリート建築事務所に入所し、親友となるフィリップ・ウェッブと知り合いましたが、やがてモリスはあっさりと建築家でなく画家になることを志すようになり、バーン=ジョーンズが師事するラファエル前派の画家ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの門下生となります。

1857年の夏、ロセッティが依頼を受けたオックスフォード・ユニオンの壁画制作に参加したモリスは、ジェイン・バーデンと出会って恋に落ち、婚約。2人の新居としてウェッブに設計を依頼した赤煉瓦の家「レッド・ハウス」の建設が始まり、モリスは画家になる努力が実らず、装飾美術に身をささげる決心をしました。レッド・ハウスはモリスが構想し内装や家具を手がけ、ウェッブが建築図面化、バーン=ジョーンズは絵を描き、ロセッティも協力し、仲間たちの共同作業により完成しました。

この作業がきっかけとなり、1861年にモリスと仲間たちの7人により壁面装飾、装飾彫刻、ステンドグラス、金属製品、家具の5つのジャンルを総合生活芸術として活動する「モリス・マーシャル・フォークナー商会」が設立されました。1868年から70年にかけて、モリスは長編物語詩『地上の楽園』4部作を発表して詩人としても知られるようになったのち、1875年に「モリス商会」と改称、モリスが単独で経営するようになります。

モリス商会では、天然染料の復活や伝統的技術を重視し、手仕事の芸術化を目指して職人の地位を高めるためにデザインを描くようになります。モリスは、産業革命によって大量生産された粗悪な商品が広まっている状況を批判すると、職人によって生み出されていた美しい手工芸の復興、そして生活と芸術を統一することを主張。このモリスの理念は、1880年代前半ごろから、「アーツ・アンド・クラフツ運動」としてイギリス全土へ広がり、20世紀初めのモダンデザインやバウハウス運動の基礎となっていきました。

晩年になり、モリスは書物の私家版印刷工房「ケルムスコット・プレス」を創設し、全53書目、66冊の書物を出版します。「書物というものはすべて〈美しい物〉であるべきだ」という願いのもとに、美しい活字で、美しい用紙に印刷され、美しい装丁で製本することを実証しました。1896年、モリスはケルムスコット・ハウスにて死去。墓標はウェッブによりデザインされました。

揺れ動き形を変えながらも、彼の中にある「美」を追求することを止めず、それを自分だけに留まらせることなく人々に広げ、ついには時代を変えていったウィリアム・モリス。長い年月を経てなお愛されているモリスの美しいテキスタイルのように、彼の成し遂げた偉業を忘れることなく語り継いでいきたいものです。

参考資料
https://www.william-morris.jp/