2025年03月

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【桜の話】

今年の桜の開花予報は、平年並みかやや早まるといわれています。春も桜ももうすぐ。待ち遠しいですね。

桜の花は、開花から散るまでさまざまな表情を見せてくれます。満開の桜を見ると、梶井基次郎の『桜の樹の下には』を思い出します。小説の冒頭には「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」とあり、ドキリとさせられます。桜は私には少し怖い印象もあるのですが、それは桜を題材にした文学がどれも幻想的で、不気味な雰囲気を持つものが多いからかもしれません。

桜の美しさは、その儚さにあります。江戸時代までは、散りゆく桜の姿が“死”や“物事の終わり”を連想させ、あまり良いイメージではありませんでした。また、散った花びらが淡い桃色からすぐに土気色へと変化してしまうことから、“心変わり”を意味するとも考えられていたようです。そのため、桜は縁起が悪いものとされることもあったのでしょう。桜を庭に植えるのは縁起が悪いといわれていたりもしますね。桜は“散るもの”というネガティブなイメージと、花がすぐに散ってしまうことにより、植えると家が栄えずに廃れてしまうとされています。

それでも、桜は単に花が美しいというだけでなく、花開いたと思えばあっと言う間に散ってしまう儚さが仏教的な無常観と結び付くことで、日本人にとって特別な存在となり、文化的・宗教的・政治的にも大きな意味を持ちます。桜は現世に執着しない「潔さ」の象徴となり、義のために命を捧げる武士の生き方にも重ねられて、「花は桜木、人は武士」という言葉も生まれました。着物、便箋、瀬戸物、郵便切手、硬貨などにも描かれ、刺青の代表的なモチーフにもなっています。

現在、日本を代表するソメイヨシノは、オオシマザクラとエドヒガンの園芸種との交配種といわれ、江戸末期から明治期に、染井村(現・豊島区駒込)の植木屋が吉野桜の名で全国各地に売り出し、のちに染井吉野と名付けられました。蕾の段階ではガクも含めて濃い赤色ですが、咲き始めは淡紅色、満開になるとほぼ白色になります。エドヒガンの「葉よりも先に花が咲く性質」と、オオシマザクラの「大きく整った花形」の両方を受け継いでいるのが特徴です。

古今和歌集で在原業平が詠んだ桜の歌があります。「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(この世の中に、全く桜というものがなかったなら、春を過ごす人の心はどんなにのどかであることでしょう)

本来春はのどかな季節なのに、人は桜が咲くのを心待ちにし、咲いたと思えば散るのが気になり落ち着かないという意味ですが、今の私たちも、変わらず桜に心を揺さぶられながら春を迎えていますね。

ショールームのご案内
https://www.shokunin.com/jp/showroom/

参考資料
https://dl.ndl.go.jp/pid/1303578/1/1
https://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/427_19793.html
https://samidare.jp/yoshiaki/note.php
https://beauty.biglobe.ne.jp/news/lifestyle/anan_180327_6357591624/
https://www.hibiyakadan.com/item/LIFESTYLE_Z_0110.html
https://manapedia.jp/text/2086

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【小樽のモンブラン】

フランス語で「白い山」という意味の洋菓子、モンブラン。栗のクリームが山の形に絞られ、マロングラッセが飾られているのをイメージするのではないでしょうか。

しかし、小樽のモンブランは違います。ココアスポンジに生クリームをサンドし、削りチョコレートが飾られたショートケーキなのです。小樽に古くからあるお店では、今も販売されています。JR小樽駅と小樽運河の中間ぐらいにある老舗洋菓子店「あまとう」で食べることができます。

ショールームの窓から見えるのはまだ雪で覆われた白い山ですが、もうすぐ小樽にも春がやってきます。春の訪れに合わせてぜひ小樽ショールームにもお越しください。

小樽ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/otaru.html
あまとう
https://otaru-amato.com/shop/

参考資料
https://moula.jp/articles/trip_eat/entry-843.html
https://otaru.gr.jp/guidemap/sweets-montblanc-2

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【佃島の佃煮】

昔ながらの街並みが残り、月島もんじゃでも知られる東京・月島。そのすぐ隣に「佃島(つくだじま)」という小さな島があり、ここは「佃煮(つくだに)」発祥の地でもあります。

佃島には現在も佃煮の老舗が残り、江戸後期創業の「佃源 田中屋」、1837年(天保8年)創業の「天安本店」、1859年(安政6年)創業の「つくだに 丸久」の3軒は「佃煮御三家」といわれています。なぜ、この場所で佃煮が生まれたのか。実は、もともと佃島は江戸時代に大阪の「佃村」の漁民たちを江戸に呼び寄せてできた場所でした。

1582年(天正10年)に本能寺の変が起こった際、織田信長の盟友である徳川家康が堺から逃げる最中、船がなく困っていた一行に素早く手持船や漁船を集め助けたのが摂津国佃村(現大阪市西淀川区佃)の漁民でした。恩義を感じた家康は、1603年(慶長8年)に江戸幕府を開いた際に佃村の漁民33人を江戸に呼び、石川島に近い島を居住地として与え、故郷の佃村に因み「佃島」と名付けました。

家康は、白魚などの漁をしながら江戸城内の台所をまかなうため、彼らに漁業権を与えました。佃島が離れ小島であることから、湾内で獲った小魚類を塩辛く煮込んで保存食を作ることを考え、千葉から醤油が渡ってからは塩煮から醤油煮へと変化しました。佃島で作られたため、これを佃煮と命名。そして江戸市中に売り出し、現在まで残っている、というわけです。

町家が並び、下町情緒あふれる佃島ですが、奥にはタワマン群がそびえ、そのコントラストから生まれる景観はなかなかほかでは見られません。街を歩くと、ここだけ時間が止まったように、静かでのどかな独特な空気が流れています。今回は、天安本店であみ、貝ひも、お茶漬け昆布の3品詰め合わせを購入。さまざまな素材を煮て最後に残る煮汁でできた「たれ」で、貝類・海藻・小魚を中心に味付けされています。

佃煮をほかほかの白ご飯の上にのせて食べると、188年分のあらゆる素材の味が染み込んだ佃煮のちょうどよい塩味と旨味で、ご飯を食べる手が止まりません。少量でも、かなりご飯が進みます。天安本店の佃煮が家にある時間は贅沢で嬉しく、日本人に生まれてよかった、と感じさせてくれる味でした。

佃煮は、タンパク質、カルシウム、鉄分などを多く含み、栄養満点。数週間〜1カ月ほど保存が利くため、東京土産としても大変喜ばれることと思います。私もまた、自分用に、また誰かへの贈り物に、佃島へ佃煮を買いに行きたいと思います。

銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html
天安本店
https://maps.app.goo.gl/w9tQ8Vh7Xay8VL57A
佃源 田中屋
https://maps.app.goo.gl/jMHKFq95JKpJFvk86
つくだに 丸久
https://maps.app.goo.gl/HqKnGe7ra4vnVpot5
松山陶工場 あたため鍋 大
https://www.shokunin.com/jp/matsuyama/
本間数勇商店 わら鍋敷き 小
https://www.shokunin.com/jp/honma/nabeshiki.html

参考資料
http://www.tenyasu.jp
https://www.tv-tokyo.co.jp/adomachi/backnumber/20100724/9115.html