2024年08月

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【一陽窯の麺鉢12cm、14cm、16cm、ピザ皿23cmが加わりました】

日本六古窯の一つであり、千年の歴史を持つ備前焼。

釉薬を使わず、地元で採れる陶土からの土作りを経て、ろくろで成形後、10トンもの赤松の割り木で10昼夜半窯焚きをして作られます。

貴重な素材で手間をかけて作られる、昔ながらの自然な焼き物です。

フードコンテナや汲み出しなども再入荷しております。在庫数に限りがございますので、ぜひお早めにご検討くださいませ。

一陽窯 麺鉢
https://www.shokunin.com/jp/ichiyou/menbachi.html
一陽窯 ピザ皿
https://www.shokunin.com/jp/ichiyou/pizza.html
一陽窯 フードコンテナ
https://www.shokunin.com/jp/ichiyou/container.html
一陽窯 汲み出し
https://www.shokunin.com/jp/ichiyou/kumidashi.html

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【羊羹】

「ひつじ」に「あつもの」と書いて「羊羹」。餡を使う和菓子なので日本生まれかと思いきや、ルーツは中国にありました。鎌倉・室町時代に中国に留学していた禅宗の僧侶たちによってもたらされた「点心(てんじん)」の中の一つだったようです。

「点心」とは当時、一般的には1日2食だった時代に、食間に食べる小食、きっとおやつのようなものですね。数ある種類の中でも、のちに日本の代表的な和菓子となるのが饅頭と羊羹でした。現在の中国の饅頭(マントー)に餡が入っていないことから、伝来当初は饅頭も餡なしが想定されています。そして、羊羹は羊の肉を煮込んだ羹、つまりは汁物でした。点心にはほかにも、猪羹、海老羹、魚羹などもあったようです。日本に伝えられた際、初めは中国と同様のものでしたが、肉食を禁じられていた禅僧たちにより、小豆や小麦粉など植物性の原材料から、精進料理としてさまざまな羹類が作られました。

戦国時代になると、御成(おなり)という、主君が臣下の屋敷を訪れて、もてなしを受ける儀礼が盛んに行われるのですが、その饗応の献立の中に羊羹があり、酒のつまみとして食されていたようです。それが徐々にお菓子の羊羹に姿を変えていったそうです。江戸時代後期になると料理としての羊羹は姿を消し、菓子として広まり始めます。そして、8代将軍徳川吉宗が輸入に頼っていた砂糖の国産化奨励により、砂糖の生産地・生産量が増加し、価格が下がり甘いお菓子としての羊羹も身近なものとなりました。徳川さんありがとうございます!ですね。

ただ今、六本木の「とらや 東京ミッドタウン店ギャラリー」では、「和菓子で自由研究」が開催されています。学校の教科ごとに、和菓子に関するトピックを集め、和菓子についての研究のヒントを見つけられる企画です。羊羹の今後としても、やわらかくした介護食や、日持ちがするため非常食にも向いているのだと気付かされました。私が挑戦したのは図工!羊羹の柄とネーミングです。白餡に小豆で鶴柄を描き、紫色を出すには職人さんにお任せしましょう。お祝いのシーンでも使っていただきたいので、菓銘は「鶴の舞」です!苦笑。なかなか時間もかかり、思いがけず大人も楽しい時間が過ごせました。まだまだ暑い日が続きますが、皆さま涼みながら工夫して過ごしましょう。

とらや 東京ミッドタウン店ギャラリー
https://maps.app.goo.gl/H6mitTtCXy1Zy7KZA
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html

参考資料
https://www.toraya-group.co.jp/news/20230614
https://shun-gate.com/power/power_89/#:~:text=日本に羊羹が伝わっ,も含まれていた%E3%80%82
https://washoku2023.exhibit.jp/outline.html
特別展「和食 ~日本の自然、人々の知恵~」公式ガイドブック

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【明治屋京橋ビル】

明治屋は、当店銀座ショールームから徒歩圏内にある中央区京橋に店舗を構える老舗スーパーです。1933年(昭和8年)に、イタリア・ルネサンス様式を取り入れ建築されたこのビルは、日本の建築史上重要な建物で、区の歴史や文化に関わりが深く学術上価値が高いものとして、中央区の有形文化財の第一号に指定されています。今では当たり前にある、地下鉄の駅と一体化した民間建造物としては現存する最古のビルだそうです。京橋地区の再開発にあたり、隣接するビルには高さを揃えるプランが採用されており、街並み全体でも調和が取られ、景観に配慮されています。ビルは外壁や室内の一部を建造当時のまま保存されることで、高層ビルが立ち並ぶ中でも当時の姿を大きく変えることなく、地域の新しい顔へと生まれ変わりました。

1885年(明治18年)に横浜で創業した明治屋は、船で使う食品や日用品の納品がおもな事業で、同時にビール販売や食品、お酒の輸入販売が行われていたそうです。明治時代に銀座へ進出しましたが、1923年関東大震災で消失。その後お隣の京橋に強固なビルを構え、時同じくして地下鉄銀座線は京橋まで延長されます。1933年には京橋が本店となり、のちの第二次世界大戦に伴う被害は幸いにも小さかったことで、2023年には移転から90年を迎えました。建築当時は食品に限らず雑貨や文具の取り扱いもあり、舶来品を扱っているモダンな店舗はショーウィンドウなども注目されるランドマーク的な存在だったそうです。再開発の始まる2000年ごろまでは、路地を入ると民家の立ち並ぶ下町風情の残る風景がありました。

現在もモダンなウィンドウは健在で、入口両サイドに設置されたおしゃれなディスプレイが迎えてくれます。安心・安全・おいしさを追求するこだわりの商品が並ぶ店内の柱には、明治屋の歴史を垣間見ることのできる写真が掛けられているのが印象的です。建築ファンも多く、なかでも外壁に設置された特徴的な街灯のファンもいらっしゃるそうです。夕方になるとぼんぼりのように灯るこの街灯は、昔の職人の手作りで、今ではもう新しく作ることのできない貴重なものとなっており、大切に維持されています。

東京駅から銀座ショールームへと向かう経路に、明治屋京橋ストアーはあります。歴史を語り継ぐ貴重な文化財をご覧になってみてはいかがでしょうか?

明治屋京橋ストアー(明治屋京橋ビル)
https://maps.app.goo.gl/Tk95kT94g2yaEPGM6
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html

参考資料
https://www.city.chuo.lg.jp/a0052/bunkakankou/rekishi/bunkazai/shiteibunkazai/meijiyakyobashi.html
https://meidi-ya-store.com/product/
https://www.kyobashi.tokyo/special/interview/10573.html