2023年07月

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【眞柄利香写真展「“#小樽暮らし”の中の運河」】

先日、市立小樽美術館の市民ギャラリーにて開催されている眞柄利香(まがらりか)さんの写真展を見に行きました。現在市立小樽美術館では、「小樽運河100年」を記念して、小樽運河に関わりのあるさまざまなアーティストの作品を紹介する取り組みを行っており、こちらの写真展もその一環で開催されているものでした。

小樽ショールームの大きなアーチ窓から運河を眺めているうちに、私自身にとって、小樽運河は観光スポットという以上の、とても身近な存在として愛着を感じるようになっていました。しかし、私が知っているのはこの運河が持つ多彩な表情の中のほんの一部に過ぎなかったのです!そんな親しみと衝撃を交互に感じながら写真展を鑑賞していました。たとえば「時」という作品は、同じ場所を異なる時に撮影した2つの写真を、同じ幅にカットして互い違いに配置し、旧手宮線跡地が見える窓に展示されていました。新型コロナウイルス感染症対策の緊急事態宣言が発令されていた2020年5月と今年5月の運河の様子をコラージュしたこの作品、そこに写された、人がひとりとしていない緊急事態宣言下の運河の姿は物寂しげです。誰もが苦しい時間があったこと、そして終わりの見えなかったその時間も確かに流れて、今はたくさんの人でにぎわう運河を目にできていることを深く実感しました。また「冬の花」という、雪の降り積もった運河沿いに生える植物に焦点を当てた作品は感動的でした。銀世界の中に、こんなに美しくも逞しい光景が存在していたのかと衝撃を受けました。次の冬にはこの光景を自分の目で見つけにいこうと思います。

さらに、会場では「あの坂でお会いしましょう」という眞柄さんの写真集を見ることもできました。小樽は坂の多い街です。関東平野で生まれ育ち石狩平野に暮らすという、勾配とは無縁のルーツを持つ私にとって、この街の、海に向かって伸びる幾多の坂と共にある生活はとても新鮮です。そんな日常のひとコマを写し取った数々の作品は、それぞれに何か物語を秘めていそうな魅力にあふれていました。

眞柄さんのお写真を見ていると、小樽運河をはじめとした小樽という街の魅力を感じるとともに、自分の暮らす街をもっとじっくりと見つめて歩いてみたいという気持ちが湧いてきます。日常の中で見落としてしまっているかもしれない美しさや面白さ、そしてそこで暮らす生活者であるからこそ捉えることのできる瞬間や時の流れに目を向ける時間は、きっと豊かなものになるだろうと思います。

こちらの写真展は7/2をもって終了となりますが、小樽市の公式インスタグラム「小樽暮らし」のアカウントでも、眞柄さんのお写真をたくさん見ることができます。贅沢な時代です。このアカウントでは、「#小樽暮らし」というタグを通じて、市民目線で感じる小樽の魅力をたくさんの人と共有するべく発信なさっているそうです。素敵な写真とそこに添えられる言葉から、まだまだ知らない小樽の姿を発見することができます。皆さまもぜひチェックしてみてください。

小樽ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/otaru.html

参考資料
https://www.city.otaru.lg.jp/docs/2023041400057/
https://www.instagram.com/otaru_kurasi/

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【お茶の歴史と煎茶】

ここ数年、海外で日本茶が注目されています。健康志向やオーガニック志向、または緑茶に含まれるカテキンの抗ウイルス作用などによるもののようです。最大生産国・中国の緑茶は、釜で炒って乾燥する釜炒り緑茶で、世界中で飲まれている多くは釜炒り緑茶になります。対して日本は、茶葉を蒸したのち、揉んで乾燥させる蒸し製緑茶が主流です。

中国から釜炒り茶が伝来するまで、日本での茶は、碾茶(てんちゃ)や挽茶(ひきちゃ)と呼ばれる、茶葉を粉末状にし湯に溶かして飲む抹茶のようなものでした。鎌倉時代後期から南北朝時代には、さまざまな寺が茶園を造って茶を栽培するようになり、禅寺を中心に喫茶の風習が広がり、その後しだいに武士階級へと普及しました。健康目的で飲まれることが多く、嗜好品として飲むことは少なかったとされています。室町時代や安土桃山時代には、足利義満、豊臣秀吉らが宇治茶を庇護したことから、武家の間で嗜好品としての茶が普及し、村田珠光、武野紹鴎、千利休らにより茶の湯(茶道)が生じ、楽しむようになりました。

江戸時代になると、庶民の間にも嗜好品としての茶の文化が広まります。1738年、宇治の農民であった永谷宗円(ながたにそうえん)が、新たな製茶法が編み出しました。それまで茶色をしていた煎じ茶が、15年に及ぶ研究の末作り上げた「青製煎茶製法」により、摘んだ茶葉を蒸し、揉む工程が入ることで、鮮やかな緑色を出せるようになったのです。これが日本における煎茶の標準となり、永谷宗円は「煎茶の祖」と呼ばれています。1778年、宗円は98歳で天寿を全うし、1952年に10代目の嘉男が「お茶づけ海苔」を開発、永谷園を創業しました。

煎茶の爽やかな香り、渋みと甘く柔らかい口当たりを存分に味わうために茶器を用意し、茶葉に合った淹れ方で飲むというスタイルは、日本の大切な文化です。お湯を注いで茶葉が開くまで待つことも含め、心が落ち着く時間になるのではないでしょうか?私たちがコーヒーを飲むときに、淹れ方やカップにこだわるように、海外でも日本の家庭と同じように、急須と湯呑みで煎茶が楽しまれているかもしれませんね。

すすむ屋茶店 急須
https://www.shokunin.com/jp/susumuya/kyusu.html
青龍窯 煎茶碗
https://www.shokunin.com/jp/seiryu/sencha.html
東屋 急須・湯冷まし
https://www.shokunin.com/jp/azmaya/kyusu.html
藤木伝四郎商店 総皮茶筒
https://www.shokunin.com/jp/denshiro/
白山陶器 平茶碗
https://www.shokunin.com/jp/hakusan/hirachawan.html

参考資料
https://shop.senchado.jp/blogs/ocha/20200207_417
https://www.maff.go.jp/j/pr/aff/2204/spe1_04.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/永谷宗円
https://ja.wikipedia.org/wiki/茶道