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【ここかしこの鯉のぼりが加わりました】

古来より「鯉の滝登り」といわれるように、逆境をものともせず上昇する鯉は、立身出世とたくましい生命力の象徴とされてきました。男の子の成長はもちろん、家族みんなの健康と開運、成功を景気よく後押ししてくれる縁起物として、端午の節句を彩ります。

手漉き和紙に型染めを施したこの鯉のぼりは、驚くほど軽量で飾りやすいのが魅力。付属の棒で吊るすほか、壁に泳がせたり、天井から吊り下げたりと、毎年自由な飾り方を楽しめます。空調の風を受けて部屋をゆらゆらと泳ぐ姿は、和紙ならではの風情。飾る年月を重ねるほどに革のような艶が出て、さらに味わい深い表情へと変化していきます。

製作は、染色工芸家・芹沢銈介と縁の深い越中八尾の「桂樹舎」。手漉きから型染めまで、非常に手間を要するオールハンドメイドで仕上げられています。その確かな品質は、手に取った瞬間に「しっかり」とした丈夫さに驚くほど。民藝愛好家をはじめ、多くのファンに愛され続けている工房の傑作です。

ここかしこ 鯉のぼり
https://www.shokunin.com/jp/kokokashiko/koinobori.html

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【旧岩崎邸庭園】

東京・上野の一角には、明治期の日本が西洋と向き合いながら築いた理想の住まいが静かに残されています。旧岩崎邸庭園は、三菱財閥第3代社長・岩崎久彌の本邸として明治29年に建てられました。かつては約1万5,000坪の敷地に20棟もの建物が並ぶ壮大な邸宅でしたが、現在は洋館・和館大広間・撞球室(どうきゅうしつ/ビリヤード場)の3棟が往時の姿を今に伝えています。門をくぐると、そこには近代日本の始まりを体現したかのような世界が広がっていました。

鹿鳴館や三菱一号館の設計で知られる英国人建築家、ジョサイア・コンドルが手がけたのが、これらの住宅の中心となる洋館です。日本の気候風土に配慮しながらも、西洋建築の様式美を巧みに取り入れた住宅は、木造2階建て地下室付きという設計がなされました。館内に施されたジャコビアン様式の装飾は重厚でありながらも繊細で、床、壁、天井といった細部に目を向けると、住まいに対する美意識の高さが伝わってくるようでした。

洋館の2階には、「金唐革紙(きんからかわし)」という貴重な壁紙が貼られた客室があり、実際に壁紙のサンプルを触ることができました。金唐革紙は、ヨーロッパにおいて動物の革で作られていた金唐革を和紙で再現した物で、和紙に金属箔(金箔・銀箔・錫箔など)を貼り、彫刻された版木で凹凸文様をつけ彩色した伝統工芸品です。明治のころには欧米で高い評価を得て、日本の芸術産業として輸出も盛んに行われましたが、昭和初期には新技術の登場や需要の減少によって衰退し、失われた工芸となっていました。この金唐革紙は、同じく日本の近代洋風建築完成期を代表する建物の一つである旧日本郵船株式会社小樽支店(国指定重要文化財)の貴賓室の壁にも使用されています。

一方、洋館に接続する和館は書院造を基調とした純和風建築で、床の間や襖には明治を代表する日本画家・橋本雅邦が下絵を描いたと伝えられる障壁画が残されています。普段の居住空間には和館が、年1回の岩崎家の集まりや、外国人、賓客を招いたパーティーなどプライベートな迎賓館としておもに洋館が使用されていました。また、洋館の地下道でつながる撞球室は、当時の日本では珍しいスイスの山小屋風建築で、異国趣味への憧れが色濃く表れています。

建物を包む庭園は、大名庭園の構成を一部踏襲しながら芝生を配した和洋併置式で、近代庭園の初期の姿をとどめています。戦後はGHQに接収され、返還後は国有財産として最高裁判所司法研修所に利用されるなど、時代の変化をくぐり抜けてきた旧岩崎邸庭園。現在は国の重要文化財に指定され、明治に始まった新しい日本の建築文化を私たちはいつでも目にすることができるようになりました。建築、庭園、歴史を一体で味わえる大変貴重な文化遺産は、今も上野の街と共に時を刻んでいます。

旧岩崎邸庭園
https://www.tokyo-park.or.jp/park/kyu-iwasaki-tei/index.html
銀座ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/ginza.html

参考資料
https://www.spt.metro.tokyo.lg.jp/tosei/hodohappyo/press/2022/11/30/24.html
https://kyu-nippon-yusen-otaru.jp/about