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【韓方(ハンバン)】

突然ですが、韓方(ハンバン)をご存じですか?漢方にご興味がある方や、韓国の時代劇を観る方は耳にしたことがあるかもしれません。韓方は「韓医学」とも呼ばれ、古代中国の医学を基礎に、韓国の風土や気候、韓国人の体質に合わせて発展してきた伝統医学です。

日本の「漢方」は、古代中国医学が中国から仏教とともに日本に伝わり、医療技術や生薬がもたらされ、日本人の体質に合わせ変化していきました。江戸時代にオランダから伝わった西洋医学「蘭学」と区別するために、それまで日本で行われてきた医学を「漢方」と呼ぶようになったのです。韓医学である韓方も、中医学が朝鮮半島で発展した韓国の伝統医学です。ルーツが同じなので、“食べ物は薬とその根源は同じ”という「薬食同源」などの共通点も多く、とてもなじみやすい印象です。患者を一律に見るのではなく、人それぞれの体質、内臓の状態や精神状態、性格、食性などによりそれぞれ違う治療法が必要だと説いています。韓方の特徴のひとつは、脈診や問診によって人の体質を“太陽人”“少陽人”“太陰人”“少陰人”の4種類に分ける「四象体質(ししょうたいしつ)」で診察することかと思います。

そして最も違いを感じたのは、韓国において韓方は、現代も生活の中に息づいているというところです。日本では明治以降、「漢方医」は西洋医学の流入と同時に医師として認められなくなり、東洋医学を民間療法ととらえる傾向にありますが、韓国では1951年に韓医師制度が法律で定められて以来、「現代(西洋)医学」と「韓方医学」の二つが存在し、症状に合わせていずれかの治療法を選択(あるいは併用)するのが一般的。韓方医は韓国の医療制度において西洋医学の医師とは独立した国家資格です。専門の大学で6年間学び、国家試験に合格することで韓方医として認められ、専門の医療機関「韓医院(ハニウォン)」を開業できるそうです。

そのほかにも「産後院」という、女性が出産後に韓方を利用して身体をケアし、回復を目的として数週間過ごす施設が一般的にあったり。韓国純喫茶では日本の葛根湯のような双和茶(サンファ茶)が定番であったり、スーパーや市場でも生薬が日常的に手に入るようです。なんとも聞けば聞くほど魅力的に感じてしまいます。私なら、もちろん産後院も利用して、日頃の不調は行きつけの韓医院を利用!いざとなったら西洋医学も併用するという想像を膨らませてしまいました。

いろいろとうらやましい想いを綴ってしまいましたが、韓方も漢方もまずは“未病ケア”推しです。病気になる前の段階で不調に気づき、病気を未然に防ごう!です。山芋(山薬)、はとむぎ(ヨクイニン)、ナツメ(大棗)、シナモン(桂皮)などなど、我が国日本でも漢方薬の原料でありながら食品として手に入るものもたくさんあります。毎日の食卓にちょっと山芋を擦ってみたり、香ばしく胡麻を炒ってふりかけてみたり、これからの暑い夏を乗り切るためにも自分に合った方法で、しっかりと飲食・心・運動(呼吸)の養生をしていきたいですね。

松山陶工場 あたため鍋 大
https://www.shokunin.com/jp/matsuyama/
一陽窯 すり鉢
https://www.shokunin.com/jp/ichiyou/suribachi.html
一陽窯 スパイスミル
https://www.shokunin.com/jp/ichiyou/spice.html
山只華陶苑 JUJU mortierすり鉢
https://www.shokunin.com/jp/yamatada/suribachi.html
辻和金網 胡麻いり
https://www.shokunin.com/jp/tsujiwa/gomairi.html
ショールームのご案内
https://www.shokunin.com/jp/showroom/

参考資料
https://nihon-hanbang.or.jp/about/
https://megurie.net/magazine/21-03/
https://www.kaze-travel.co.jp/kr-sp-11.html

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【鰊御殿とソーラン節】

明治から大正年間にかけて、北海道の日本海沿岸に凄まじい好景気をもたらしたニシン漁。先日、その網元たちの栄華を今に伝える「小樽市鰊御殿」を見学してきました。明治30年(1897年)に積丹半島の泊村に建てられ、昭和33年(1958年)に小樽の祝津へと移築復元されたこの建物は、北海道の民家として初めて有形文化財に指定された歴史的な名建築です。一歩足を踏み入れると、当時ニシン漁で使われていた漁具や、番屋で暮らしていた人々の生活用具の展示とともに、BGMとして「ソーラン節」を唄う声が流れていました。その歌声は、現代風にアレンジされたものや、盆踊りのように朗々と歌い上げるものとは異なり、無骨で実直な、まさに命がけの作業の真っ只中で唄われていたかつての響きそのものでした。現代の私たちがステージなどで楽しむ洗練された「ソーラン節」が、もともとは激しい労働を全員で乗り切るため、荒海の中、声を張り上げて歌った「生きるための唄」だったという原点に、強い興味を抱きました。

今回訪れた小樽市鰊御殿は、最高級の木材と技術を注ぎ込み建てられた網元の住居であると同時に、全盛期には120人ものヤン衆(出稼ぎ労働者)たちが寝泊まりをして共同生活を送る、いわば巨大な仕事場でもありました。この地で歌われていたソーラン節は、東北地方からの出稼ぎ漁師が持ち込んだ民謡が海を渡って定着した「鰊場作業唄(正調鰊場音頭)」が基になっています。過酷な労働において仲間との結束を固め、辛さを吹き飛ばすために生まれたこの唄は、ニシン漁の一連のプロセスに寄り添うように、4つの作業工程(四編)で構成されています。船着き場から網の仕掛け場所を往復する際の「船漕(ふなこ)ぎ」、網にかかったニシンを枠網へと追い込む、最も気合いの入る「網起こし」、集まったニシンを大きなタモ網で船へと一気に汲み上げる「沖揚げ」、そして、網の目にびっしりと付着した数の子を竹の棒で叩き落とす「子たたき」。私たちがよく知るソーラン節は、このうちの「沖揚げ」の作業唄が独自に変化したもので、あふれんばかりのニシンでいっぱいとなった網を引き揚げる際に唄われました。

集団の中で一番腕力のある若者が大きなタモ網の柄を握り、周囲の漁夫たちが船板を叩いて調子を取りながら「ソーラン、ソーラン」と激しく囃(はや)し立てる。最初の段階は、枠網にニシンがひしめき合っているため、少しタモ網を差し入れるだけで勝手に魚が入ってきてくれます。しかし、作業が進んで枠網のニシンが減ってくると、四方に逃げ惑う残りの魚を、重いタモ網を力任せに何度も動かしてかき集めなければなりません。タモ網が満たされるまでの時間が長くなるほど、踏ん張りどころを迎えた若者を鼓舞するように、周囲の「ソーラン!」という掛け声が幾度となく連呼されました。やがてタモ網が魚で満たされると、タイミングを合わせて一気に引き揚げるために「チョイ ヤサ エー」の合図が響き、「ドッコイショ」の声と共にニシンを運ぶ船へと魚が打ち撒かれます。春の冷たい海、揺れる船上での単調な超肉体労働は、猛烈な疲れと眠気を誘いました。海への転落が即座に命取りになる極限状態のさなか、音頭取りはわざとおどけた内容や卑猥な歌詞を歌い上げることで、漁夫たちの目を覚まさせ、笑いを誘って緊迫した現場を盛り立てることもありました。唄は、不眠不休で続く戦場のような忙しさの渦中で、労働の辛さや眠気を紛らわせるための大切な知恵でもあったのです。

かつてこの日本海沿岸を席巻したニシン黄金時代ですが、そこには華やかな成功物語の裏に、綺麗事だけでは済まない現実もありました。当時の漁場に漂っていた独特の生活臭や、過酷な肉体労働、さらには網元と底辺を支えるヤン衆たちとの間の複雑な人間模様は、ニシン景気に湧く北海道小樽や余市・積丹のニシン漁場を舞台にした島木健作による小説『鰊漁場』の中でも実に生々しく描かれています。厳しい環境に身を投じた数多くの地元の漁夫や、本州から海を渡ってきた出稼ぎ労働者たち。栄華を極めた鰊御殿の華やかさと、今も愛される名曲の響きの裏には、厳しい北の海において死に物狂いで労働に明け暮れた、名もなき人々の壮絶な生き様がありました。

帰り道、せっかくここまで来たのなら、名物のニシンを味わってみたい、と、近くにある「青塚食堂」へと立ち寄ることにしました。店先では、炭火でじっくりと焼かれる丸々と太ったニシンから、香ばしい煙が立ち上っています。激動の時代を通り抜け、今、こうして平和な現代で味わうニシンは、驚くほどふっくらとして柔らかく、一口一口を噛み締めるたびに、この豊かな日常の土台を築いてくれた先人たちへの感謝の思いが湧き上がってくるようでした。

小樽市鰊御殿のある祝津へは、小樽ショールームから徒歩8分の場所に位置する小樽港観光船ターミナルから、「観光船あおばと」に乗船し、約20分で到着します。小樽市鰊御殿、青塚食堂、そしてこちらもニシン漁で巨万の富を築き上げた一族による美術豪邸「旧青山別邸」も徒歩圏内。帰りはバスで小樽駅前へ戻ることが可能です。観光船での心地よい船旅を楽しみながら、ニシン漁の面影が今も息づく祝津の地へ、少し足を延ばしてみてはいかがでしょうか。

小樽ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/otaru.html
小樽市鰊御殿
https://www.city.otaru.lg.jp/docs/2020100900596/
青塚食堂
http://www.aotsuka.com/
旧青山別邸
http://www.otaru-kihinkan.jp/aoyama_about/
観光船あおばと
https://otaru-kankousen.jp/ships/

参考資料
https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/184110
https://www.parkhotelgroup.com/ja/grand-park-otaru/our-hotel/experiences/otaru-herring-mansion
https://www.town.shakotan.lg.jp/contents/content0034.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E7%AF%80
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%B0%8A%E5%A0%B4%E4%BD%9C%E6%A5%AD%E5%94%84
https://www.aozora.gr.jp/cards/000008/card1083.html

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【「また食べたい」から始まること】

博多天神へ行った時にブルーボトルコーヒーで食べて以来、ずっと息子がはまっている「TOMATO and RICOTTA CHEESE」。お店で食べて、好みだったり感動すると、日々の中でも「また食べたい」と思います。だからこその「家でもできそうじゃない?」から始まる試行錯誤。いつもその過程も楽しんでいる我が家ですが、このレシピは素材がおいしかったら、もうほぼ完成なんじゃないかと、すぐにチャレンジしてみることになりました。

パンは薄めの雑穀パンなどがおすすめですが、食パンやバゲットなどでも楽しめると思います。チーズはリコッタチーズ。

そもそもリコッタチーズとはどんなチーズなのでしょう?「リコッタ」はイタリア語で、「二度煮る」という意味からきているそうで、チーズ製造時に出てきた水分=ホエイ(乳清)を加熱して固めたもの。ホエイから製造するため低脂肪なのが特徴で、やわらかく口当たりが良く、ミルクの自然な甘さが味わえます。イタリアではさまざまなお菓子作りや料理に使われることも多いようで、そういえば昔、リコッタパンケーキを湘南で食べたのが、私とリコッタチーズの初めての出会いだったなぁと思い出しました。

しかし、残念なことに私の住んでいる近くにリコッタチーズを取り扱っているスーパーはありませんでした。諦めきれないので、手に入りやすいクリームチーズで代用することに。本家では、オリジナルのバジルペーストやディルなども使われていましたが、今回は自宅にあるものや手に入りやすいものを使い、できるだけ手間をかけないレシピにしました。

TOMATO and “CREAM” CHEESE

1. 薄めの雑穀パンを軽くトースターで焼く。
2. クリームチーズを塗る。
3. スライスしたミニトマトを並べる。
4. オリーブオイルスプレーをかける。
5. バジルを散らして完成。

ミニトマトはいつも食卓に並んでいる若松トマトを使用しました。見た目も華やかで、さっぱりと食べられるので、暑い日の朝食やランチにもおすすめです。

そう簡単には、お店のようにきれいにはいきませんし、お店の味そのものにはならないけれど、「また食べたい」という気持ちから、こうしてレパートリーが増えたり、再現する工程を楽しめたり、お店での思い出がよみがえったり。そんなことが毎日の食卓の小さな幸せとなっています。

ブルーボトルコーヒー 福岡天神カフェ
https://store.bluebottlecoffee.jp/pages/fukuoka_tenjin
若松ショールーム
https://www.shokunin.com/jp/showroom/wakamatsu.html

参考資料
https://www.meg-snow.com/cheeseclub/knowledge/jiten/ricotta/